次の日は、ためらいながら校舎に足を踏み入れた。

先生に、どんな顔をして会えばいいのか分からない。

昨日の先生の行動があまりにも理解を越えていたから。
それでいて、あまりにも幸せで、あまりにも切なくて、あまりにも罪深かったから。

でも、左手の小指にはしっかりと、リングを嵌めてきた自分がいることは確かで。


悶々と俯きながら、職員室の前を通り過ぎた時だった。



「笹森さん。」



その声に、俯いたまま立ち止まる。
振り向くのがとても怖かったから、私はしばらく凍りついたまま動けなかった。


ぽす、と一瞬だけ頭の上に手が乗って、離れていく。



「……あ、」



「放課後、準備室で待っています。」



先生はちょっとだけ振り返って、にこり、と笑った。
その目が、いたずらっぽい輝きを含んでいて、私はドキッとする。


でも、すぐにいつもの真面目な表情に戻った先生は、綺麗な背中を見せながら去ってゆく。



先生。

先生、先生。



今すぐにでもその背中を追いかけたいよ。
その微笑みに包まれたい。

言葉なんて、なくていいから。
約束なんて要らないから。


だけど、たった一回のキスの思い出だけじゃ、私は生きていけない――



気付いたら、どんどん欲張りになっていた。

最初は、図書館で出会った先生に、もう一度会えたらそれでいいと、そう思っていたのに。
もう、先生なしでは生きていけない。

人のものを奪うことが悪いことだなんて、幼稚園生でも知っているのに。



ううん、その前に。

先生は、大人だから。

大人すぎるから、先生の考えていることなんて、何も分からない。


いつ、何事もなかったかのように、私を置いていってしまうかも分からないのに。


でも――


こんなにつらい恋なら、しない方がよかったなんて思いたくない。

あの雨の日に、先生と出会ってしまったことを、後悔なんてしたくない。


運命は残酷だから、たまたま私が好きになった人が、たまたま先生で、それもたまたま既婚者だっただけ。

だから、私は悪くない―――


必死に自分を正当化しながら教室を目指して、私は様々な思いに押しつぶされそうになっていたんだ。