先生の作ってくれたお粥はおいしかった。
先生は、特製天野ブレンド、のときのように、小さな手間を惜しまない。

理系の先生なんて、料理ができるはずはないと思っていたのに。

数学の問題を解くみたいに、刻んだり足し合わせたりして、作るのだろうか。


いつの間にかスーツを着替えて、エプロンなんかつけている。
先生のそんな姿は初めて見た。
とてもよく似合っていて、そしてなんだか微笑ましい。


「先生、ごちそうさまでした。」


「いいえ。……あ、でも、笹森さんが元気になったら、期待していますよ。」


「えっ!」


料理は、苦手なわけではない。
必要に迫られてやっているうちに、それなりに色んな料理を作ることはできるようになった。

だけど――

先生が食べると思うと、緊張してしまう。


でも、先生のその言葉は。


この先も、ここにいていいんだと言ってくれているような気がして。



「先生。」


「はい。」


呼べばしっかりと目を合わせて、返事をしてくれる先生がいる。
私の目の前にいる。


「何で泣くの。」


ああ、私、ここに来てから泣いてばかりだな……。
家にいるときより泣いているかもしれない。

だけど、それは冷たい涙ではなくて。

もうずっと忘れていた、守られることの安心感。

そのせいで、凍りついた心が溶けだして、涙となってこぼれ落ちるんだ。


「笹森さんは、お粥くらいでそんなに感動するんですね。」


おかしそうに先生が言う。


「そんな感じだと、悪い人に騙されてしまいますよ。」


悪い人は、先生だよ。

私に、こんなにたくさん幸せをくれて。
安らぎも、微笑みもいっぱいくれて。

それでも、先生は私のものではなくて。
想いを伝えることさえできなくて。


「でも、小さなことに幸せを感じられる人は、将来絶対に幸せになれます。」


「幸せ……。」


「ええ。お粥一杯で幸せになれる笹森さんなら。」


その時、ズキンと胸が痛んだ。
母の声が聞こえた気がしたんだ。

――「お前だけ幸せになるつもりなのかよ。」

と。



「笹森さん?」


「せ、んせ、」


「はい。」


「私、幸せになんてなれないです。」


「え?」


先生が目を丸くして私を見ていた。
思わず口を滑らせたことに気付いた私。


先生は何かを言いかけて、諦めたように口を閉じた。





先生、この時私は気付いたんだよ。


先生との優しい日々が、いつまでも続くわけないってこと。


私が自分を許せなくなる日がきっと来るってこと。




あるいは先生も、おんなじことを考えていたのかもしれなくて――