「失礼、します。」
数学科準備室は今日も埃っぽい。
でも、昨日とひとつだけ違うのは、明かりが消えていて真っ暗なところだ。
「先生?」
小さな声で呼びかける。
でも、返事は聞こえない。
「天野、先生?」
もう一度、今度は少し大きな声で呼んだ。
でも、誰もいないみたいだ。
私は、少し迷った挙句、中で待つことにした。
先生がいつもいる部屋だということを考えるだけでも、心が温かくなるから。
ほんの少し引きずっている足と、痛くてあんまり曲げられない背中。
先生に絶対にばれてはいけない。
そんなことを考えて、少し緊張していた。
本棚の迷路を抜けて、突き当りの先生の机――
誰も座っていないそこに、辺りを見回した後そっと座ってみる。
先生がいつも見ている角度から、グラウンドが見える。
目の前には、書きかけの日誌のようなものと、ボールペン、赤ペン。
年季が入っていて、少し高そうなボールペンを手に取って、つくづく眺めてしまう。
このままこの机で眠れば、目を覚ました時には天野先生になっているような気がする。
そう、それがいい。
私は天野先生になりたい。
先生の目で、この世界を見てみたい。
先生のゆったりとしたテンポで、この世界を生きてみたい。
そしたら、きっと世界はもっと幸せで、輝いているんだろう。
日誌をペラペラすると、最後はメモ用のまっさらなページがあった。
先生は、ここには何も書き込んでいないみたいだ。
それなら、気付かれないかな。
先生のボールペンを握って、はじっこに小さな字で、「すきです。」と書いた。
その時、ガラッとドアが開く音がした。
私は慌ててペンを元の場所に置き、日誌を戻す。
そして、音をたてないように椅子から立ち上がって、離れた。
足音が本棚の間を近づいてきて、すぐ前で止まる。
「あ、笹森さん、悪かったですね。こんなに薄暗いところでお待たせしてしまって。電気の場所、分かりませんでしたか?」
「……あ、はい!」
「ここですよ、入口のすぐ横。今度、もし私がいなかったら、点けて待っていてください。」
「分かりました。」
微笑むと、先生はあれ、という顔をして首を傾げる。
「笹森さん、どうしたの。」
「え?」
一瞬、頭の中が真っ白になる。
「いえ、何でもないのなら結構です。気のせいです、きっと。」
「あ、はい。」
一体何だったのだろう。
でもそこからは、先生は昨日と同じように教科書を開いて、補習の態勢に入った。
先生の教え方が分かりやすいから、どんどん理解できてしまう。
その度に先生に褒められて、私は幸せな気持ちになる。
でも、その反面怖いんだ。
どんどん進んでしまったら、すぐに教科書は終わってしまう。
そしたら、この補習は終わりなんだから。
だから、わざと発展的なことを質問したりして、なるべく時間をかけて解説してもらおうとした。
そんなの、先生からしてみればただの、「手のかかる生徒」なのだろうと思いながら。
だけど、質問をする度に嬉しそうに微笑む先生の顔を、信じる以外できるはずもなくて――
数学科準備室は今日も埃っぽい。
でも、昨日とひとつだけ違うのは、明かりが消えていて真っ暗なところだ。
「先生?」
小さな声で呼びかける。
でも、返事は聞こえない。
「天野、先生?」
もう一度、今度は少し大きな声で呼んだ。
でも、誰もいないみたいだ。
私は、少し迷った挙句、中で待つことにした。
先生がいつもいる部屋だということを考えるだけでも、心が温かくなるから。
ほんの少し引きずっている足と、痛くてあんまり曲げられない背中。
先生に絶対にばれてはいけない。
そんなことを考えて、少し緊張していた。
本棚の迷路を抜けて、突き当りの先生の机――
誰も座っていないそこに、辺りを見回した後そっと座ってみる。
先生がいつも見ている角度から、グラウンドが見える。
目の前には、書きかけの日誌のようなものと、ボールペン、赤ペン。
年季が入っていて、少し高そうなボールペンを手に取って、つくづく眺めてしまう。
このままこの机で眠れば、目を覚ました時には天野先生になっているような気がする。
そう、それがいい。
私は天野先生になりたい。
先生の目で、この世界を見てみたい。
先生のゆったりとしたテンポで、この世界を生きてみたい。
そしたら、きっと世界はもっと幸せで、輝いているんだろう。
日誌をペラペラすると、最後はメモ用のまっさらなページがあった。
先生は、ここには何も書き込んでいないみたいだ。
それなら、気付かれないかな。
先生のボールペンを握って、はじっこに小さな字で、「すきです。」と書いた。
その時、ガラッとドアが開く音がした。
私は慌ててペンを元の場所に置き、日誌を戻す。
そして、音をたてないように椅子から立ち上がって、離れた。
足音が本棚の間を近づいてきて、すぐ前で止まる。
「あ、笹森さん、悪かったですね。こんなに薄暗いところでお待たせしてしまって。電気の場所、分かりませんでしたか?」
「……あ、はい!」
「ここですよ、入口のすぐ横。今度、もし私がいなかったら、点けて待っていてください。」
「分かりました。」
微笑むと、先生はあれ、という顔をして首を傾げる。
「笹森さん、どうしたの。」
「え?」
一瞬、頭の中が真っ白になる。
「いえ、何でもないのなら結構です。気のせいです、きっと。」
「あ、はい。」
一体何だったのだろう。
でもそこからは、先生は昨日と同じように教科書を開いて、補習の態勢に入った。
先生の教え方が分かりやすいから、どんどん理解できてしまう。
その度に先生に褒められて、私は幸せな気持ちになる。
でも、その反面怖いんだ。
どんどん進んでしまったら、すぐに教科書は終わってしまう。
そしたら、この補習は終わりなんだから。
だから、わざと発展的なことを質問したりして、なるべく時間をかけて解説してもらおうとした。
そんなの、先生からしてみればただの、「手のかかる生徒」なのだろうと思いながら。
だけど、質問をする度に嬉しそうに微笑む先生の顔を、信じる以外できるはずもなくて――