「唯、手を貸して。」
卒業式の翌日。
正確には、3月31日までは高校生らしい。
だけど、私と先生はもう、隠れて歩かなくてもいい。
先生と公園を散歩していたら、先生は急に立ち止まった。
「手?」
「そう。左手。」
そう言って、先生は私の左手を取り、小指に嵌った指輪をそっと抜いた。
「今度は右手。」
「はい。」
なんだか笑ってしまう。
先生も、微笑みながら私の右手を取って、今度は右手の小指にその指輪を嵌めた。
「ピンキーリングは、左手の小指に嵌めておくと幸せを呼ぶんだよ。」
「あ、そういう意味があったんですね。」
「そう。それで、右手の小指に嵌めると、幸せが逃げないと言われているんだ。」
先生は、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「唯はもう私のものだから、幸せを呼ばなくてもいい。」
はっとして、先生を見つめる。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど、正直に答えてほしい。」
完全に先生の話し方ではなくて、困ったように先生が言った。
「なんですか?」
「唯は、私のことを、どんなふうに好き?」
「どんなふうに?」
そんなこと、改めて問われたら照れてしまう。
どんなふうに、って。
「全部、です。」
「全部?」
「先生の過去も、これからもすべて。」
そう答えた瞬間、先生は急に涙ぐんだ。
「え、先生!何でそんな、」
「ありがとう、模範解答だよ。」
顔を染めて涙を流す先生の横顔に、青年の頃の先生を垣間見た。
きっと、高校時代の先生も、こんなふうに、笑ったり泣いたりしていたんだろう。
「ほんとにいいの?」
「え?」
「こんなおじさんで。」
「おじさんとか言わないでください!」
「それに、今までも待たせてしまったのに、これからもまた、君を待たせてしまうと思うよ。」
「はい。」
「ピンキーリングじゃなくて、本当の指輪をあげられるようになるには、まだもう少し時間が欲しいから。」
「わかってます、そんなこと。」
「ほんとに?」
「ほんとに。」
弱気な先生を見るのは、それはそれで楽しい。
どんな先生も好きだから。
だから待っていたいんだ。
先生の気持ちに、整理がつくまで。
新しい恋へと、進んでいけるまで。
「唯。」
「何ですか?」
「いつまで私を先生扱いするつもりですか?」
「だって、先生は先生じゃないですか。」
「もうあなたの先生ではありません。」
「じゃあ誰なんですか?」
「陽です。……私は、天野陽です。」
その言い方に、思わず笑ってしまう。
「待ってますよ。」
「え?」
「私、ずっと待ってます。雨の日じゃなくても、胸を張って並んで歩けるようになるときを。……陽さんと。」
天野先生は、今までで一番嬉しそうに笑った。
そして、私を守るように、優しく抱きしめた。
「唯、」
「はい?」
「どうしようもないくらい、……大好き。」
こんな私、産まれてこなければよかったと何度思っただろう。
だけど今―――――
産まれてきてよかった、と心から思う。
私に出会ってくれて、ありがとう、先生。
笑ってくれて、泣いてくれて。
ありがとう―――――
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