その隣のページに、「笹森さんへ」という長い文章が書いてあるのを見つけた。

ドキドキする心臓を押さえながら、私は読み始める。


どうしても滲んでしまうから、ハンカチで涙を吸い取って。




「笹森さんへ」



お久しぶりです。

メールを見てここに来てくれたのなら、私はまだ、少しでもあなたに愛されているのでしょう。

もし、そうでないのなら。

この日誌に書いた言葉など、忘れるほどに私を嫌いになってしまったのなら。

この先は読まなくて結構です。

おそらく笹森さんにとって、愉快な話ではありませんから。


朔太郎(レストランのオーナー)から、あなたが来たという話を聞きました。

あなたは、私の体を心配していたと。

今だから言えることだと、分かってもらえるでしょうか。

私は、病気ではありません。

毎朝病院に行くのは、私のためではなく―――――妻のためでした。

妻と息子は、15年前、交通事故に遭いました。

そのとき26歳だった私は、幼い子どもを失い、植物状態となった妻を抱えました。

加害者は、飲酒運転でした。


妻は、生命維持装置に頼って生きていました。

しかし、彼女は生前、延命をしないという意思表示をしていたのです。

親族の反対がなければ、生命維持装置は外すことになりました。

彼女の両親も、私に言いました。

「あなたはまだ若い。悲しい過去は忘れて、幸せになって。」と。

何度も何度も言われました。

でも、私にはどうしても、その決断ができなかった。

私が彼女との婚姻関係を破棄するということは、彼女の命を奪うことのような気がして。

生命維持装置に繋がれている限り温かい、彼女の手から、温もりを奪ってしまうことの罪を思って。


それで、私は15年間、毎日彼女の元へ通い続けました。

彼女の両親は、そんな私に同情を寄せていました。

そして、ある固い約束を交わしたのです。

「もし、私に大切な人ができたら、その時は、彼女との婚姻関係を解消する」と。


笹森さんが、熱を出してうちに泊まった日。

私は15年間で、初めて彼女の元を訪れなかった。

私は隠していたけれど、彼女の両親には隠しきれなかった。

もう、お見通しでした。

私は、彼女の両親からこう言われました。

「陽さん、ありがとう。もう、十分だよ。」と。


私は悩みました。

悩み、苦しみ、どうしたらいいか分からず、笹森さんと向き合うことも出来ずに。


でも、いつまでもそうしているわけにはいきませんでした。

けじめをつけなければいけないと。

そんなわけがあって、私は休職しました。

最後の1ヶ月、ずっと妻のそばにいようと―――


婚姻関係を解消する、と言った時、彼女の両親はほっとした表情で涙を流していました。

私の意固地な考えが、彼女の両親もまた、縛っていたんだと、私は初めて気が付きました。

もう、玲は帰ってこないのに。

玲の意思に反して、いつまでも生かしておくことは、玲にとっても申し訳ないことであったと。



どんな事情があったにせよ、笹森さんを傷つけたこと、悲しませたことは、許されることだとは思いません。

しかし、私は、あなたに会えたことで、ずっと抱えてきた苦しみに、終止符を打つことができた。

そのお礼だけでも伝えたいです。

本当に、ありがとう。


それから、こんなこと、伝える権利はないのかもしれませんが―――――










後ろから突然、ぎゅっと抱きしめられた。









「愛してる、唯。」