私は生徒用玄関から、先生は職員用玄関から出る。
下校時間を過ぎた学校は真っ暗で、職員室から洩れる光だけが廊下を照らしていた。

「では、楠の木のところで。」

「はい。」

楠の木は、うちの学校のシンボルらしい。
どうやら、学校の校舎が建てられると同時に植えられたようだ。

私はローファーをはいて、ゆっくりとそこに向かった。
真っ暗なとき、楠の木の大樹はざわざわと音を立てていて、少し怖い。
何か、とてつもなく大きなものが、その木の中に隠れているような、そんな気がする。

「お待たせしましたね。」

先生の声がして、何故だかすごく安心した。




先生の一歩後ろを歩く。


振り返りそうで、振り返らない先生の広い背中を、じっと見つめながら。




「笹森さん。」


「はい。」




突然振り返った先生と、思い切り視線がぶつかってしまう。

真っ暗でよかった。

そうじゃなければ、真っ赤になった私の情けない顔を、先生に見られてしまっていたから。




「おなか、空きません?」


「へ?」



先生は、小さく笑いながら路地裏を指差した。



「おいしいラーメン屋さんがあるんです。ちょっと付き合ってくれませんか?」


「……いいんですか?」


先生は、何も言わずに大きく頷いた。
そして、まだ私が来たことのない路地裏へと案内してくれる。

そこには確かに、個人で営んでいるようなラーメン屋さんが、ひっそりと立っていた。

先生は、慣れた足取りでのれんをくぐり、私を振り返る。
提灯で照らされた横顔が、心なしか嬉しそうに輝いていた。


「いらっしゃい。」


不愛想な店主が迎えてくれる。


「いつもの、ふたつ。」


「うん。」


ふたりの間の不思議な空気。
先生とラーメン屋なんて、まったく異質なものだと思っていたのに。
こうして見ると、学校にいるときより馴染んでいるかもしれない。


どうしてだろう。
その横顔は、いくら見上げていても飽きないんだ。
隣にいると、寒さなんて忘れちゃうんだ。
その声を聞いていられるなら、どんなに難しい話にだって、一生懸命に耳を傾けたいと、そう思ってしまうんだ。


「このお店のことは、誰にも内緒ですよ。」


「はい。」


先生は、人差し指を唇の前に立ててみせる。
私も、その動作を真似して、そして同時に笑った。


「お待ちどうさま。」


「どうも。」


ふたりの前にラーメンのどんぶりが置かれる。
器に触れるだけで、冷え切った体が温まっていくようだ。

先生の「いつもの」は、あっさりした醤油味のラーメンだった。

一口すすって、思わず笑顔になる。

そんな味。


「おいしいですね。」


「おいしいんです。これが。」


そう答える先生は、今まで見てきた先生の中で一番人間らしくて、私は好きだった。




先生の左手の薬指に、きらりと光るものを見ないようにして、私は先生の温もりを心一杯に感じていたんだ――