「“どぶ”読んだー?」


「読んでなーい!」


「早く読めよー。」


柚奈がぐでぐでと脱力しながら訊いてきた。


“どぶ川”が、ただの“どぶ”になっちゃったよ。


略しすぎだよ。


“どぶ”をどうやって読むんだよ。


読めないよ。


私の席の前にしゃがみ、冷たいに机に頬擦りをする柚奈を、哀れむように見つめる。


机の面についていない方のほっぺをつついてみれば、指が深くめり込んだ。


感動。


なんてやわらかいんだ。


「いたーい。」


言葉を発することさえ面倒そうで、思わず苦笑。


骨が抜けたみたいに、ゆるゆるのくてくて。


癒される……。


休み時間、5分延びればいいのに。


時計を睨み付けたって、時間が進むスピードは変わらない。


特になんの意味もなく周りを見渡してみれば、見知った人物が前側のドアからこちらを覗いていた。


目が不審者。


……なにやってるんだろう、友紀ちゃん。


でも体調良くなったのか。


昨日は疲れてたみたいだったけど、元気出たんだ。


とりあえずは安心かな。


そっと目をはなす。


「ちょっ!なに無視してんのお母さん!一瑠お母さん!」


な、なんだって!?


立ち上って視界のど真ん中に友紀ちゃんを捉える。


その動きは、私のピントがぶれてしまうほど素早かったから、


柚奈は机にぴったりとくっついていた頬を気だるそうに離して、友紀ちゃんを見た。


「一瑠お母さーん!」


大声で窓側席の私を呼ぶ。


クラスの皆は、友紀ちゃんの姿を一度確かめると、


笑った。


こっちを見ながら笑う人もいれば、


チラッと見てクスクス笑う人もいた。


私の顔が熱くなる。


顔を伏せながらドアの方へ歩き、


友紀ちゃんの両肩に手を置いた。


きょとんとした顔に、溜め息をつきたくなるのを飲み込んで、目をカッと見開く。


「恥ずかしいからやめて!」





視線が痛いから、廊下の隅へと引っ張った。


友紀ちゃんは意味が分からないみたいに、目をまんまるくさせている。


「お母さんってなによ?」


私がちょっとキツめに訊いたのにも関わらず、綺麗に笑って見せた。


歩乃香がマーガレット、柚奈がひまわりだとしたら友紀ちゃんは……そう


たんほぽとかシロツメクサ。


なんで、そんな風に笑えるんだろう。


友紀ちゃんの目を見つめる。


「だって、なんだか溝口ちゃんがお母さんみたいだったから!」


幼い、あどけなさの残る笑顔。


自分が汚れた人間みたいに思えてならない。


さらに昨日のことが思い出され、なんだか胸が痒い。


らしくないことをしたとは思ってる。


思ってるから、それを改めて再確認させないで!


「うれしかったんだよね……。ありがとう。」


「大袈裟だよ!」


無図痒い。


無図痒いけど、嫌じゃない。


嫌じゃない痒さに戸惑う。


「一瑠お母さん、だね。」


「お願い。お母さんはやめて!恥ずかしいから」


「じゃあ、一瑠」


ふいに締まった声で名前を呼ばれ、固まってしまう。


「一瑠って、呼んでいい?」


「うん……。」


友紀ちゃんは歯を見せて笑った。


胸の中に痒さが残る。