うっすらと雲がかかる9月の日曜日。

彼は明菜さんを神戸から呼び寄せた。


子どもを引き取る日が、いよいよ来たのだ。



私が明菜さんを初めて見たのは、窓越しだった。

迎えに出た光に案内されマンションに向かって来るところを、リビングから密かに見下ろしていた。
 

あれが……

神戸で彼の心を奪い、彼の子を産み、嫉妬以上の恐怖を私に与えた唯一の人。


騒ぎ出す心を私は必死で抑える。

7階の窓から顔立ちまでは見えないけれど、気品ある女性だということは遠目にもわかる。
 

そして彼女と手をつなぎ連れられているのは、娘の千絵ちゃんだ。


「……はじめまして、千絵ちゃん」


窓ガラスに向かってつぶやいてみた。

これは、練習。

彼女たちを前にしても、淀みなく挨拶するための。
 

今まで彼は私に気を使ってか、子どもの名前をあまり口にしなかった。

だから私もずっと“あちらのお子さん”という言い方をしてきたけれど、今日からは“あちらの”じゃない。
 


いつの間にか、窓から3人の姿が見えなくなっていた。

と、気づいたと同時にインターホンが鳴った。
 

来た!


どうしよう。
ついに来たんだ。
落ち着かなきゃ。
震えが止まらない。
どうしたらいいの。


様々な言葉が飛び交う、混乱した頭。

玄関へと歩く足は自分のものじゃないみたいだ。

ドアノブを回し、そっと扉を開いた。


「こんにちは。明菜さん、千絵ちゃん」


ああ、よかった、笑顔が引きつらなかった。

声もきっと穏やかだったはず。


私は内心ホッとしながら、玄関の外にたたずむその人の顔を見る。