電車に揺られ、ただひたすらにカラオケのことを考えてしまう思考自体どうにかしたかったが、今の杏梨にはそれはとても難しいことだった。疑問が浮かんではしこりのように残っていく。その一つ一つが鉛なのではないかと思うくらいには重たく、冷たい。

(どうして山岸先生は歌ったの?
どうしてそんな平気な顔をしていられる?
どうして私がネタにならなくちゃいけないの?
だって全部、私と山岸先生の関係のことなのに、部外者に色んな事を言われなくちゃいけないの?
…それとも、こんなことを軽く受け流せない私が、適応できていないだけ?悪いのは、私?)

 全て冗談だということもわかっている。誰も本気になんてしていない。ただ、雅人と杏梨が同期で若くて、別段仲が悪いということではなく(むしろ仲は良い方)、ノリがよいからネタにされているだけだと頭ではちゃんとわかっている。それなのに…

(関係と気持ちに関わることを、私は軽く流せない…んだと、思う…)

 そんな風に自己分析することはできても、解決できない。自分のことならば、自分一人で解決するのがいつもの杏梨である。色々な方法を考えて、時には人に話してみたりして選択肢を増やして、それでも最後の決断を下すのはいつだって自分だ。そうして23年生きてきた杏梨にとって、今の自分の状況は、もやもや以外の何物でもなかった。これは自分一人のことではない。だが、そう簡単に、雅人に言うこともできない。

(何て言えばいいのかもわかんないし、もやもやがどこに絡まってるのかもわかんないし、全部わかんない!こんなの初めてで嫌だ!)

 生まれて初めて、こんな風にネタになった。多分、今の杏梨の混乱はそのせいでもあるだろう。だが、今の杏梨にとってそんなことはどうでもよかった。ただただ重い気持ちだけが、体中に纏わりついて離れてくれない。
 帰宅後、杏梨は淀んだ気持ちをそのままツイッターに吐き出した。ごく少数しかフォローしていない、フォローされていないアカウントで。

 これは杏梨にとって事件だった。精神的には強いと自負していた杏梨が、ここ数年で初めて折れた、と思った時だった。