「暗いとこ?」
菖蒲が不思議そうに訊き返す。瀬奈は様々な明かりで星さえも見えない夜空を見上げ、ふうっと長く息を吐き出した。
「うつ病の患者さんって、"闇の迷路"の中にいるようなものなんだって。本に書いてあった」
「闇の迷路?」
「そう、光のない闇の迷路」
「……怖いね」
「うん……」
菖蒲の呟きに瀬奈がうなずく。二人はそのまま立ち止まり、しばらくの間、明るい夜空を見上げた。
――快の心には雨も降ってるのかもしれない。
星さえ見えない夜空。楽しい街並みとは裏腹に、何だか空しくて哀しい。
――闇の雨に濡れて、不安と寒さで震えてるかもしれない。
「帰ろう」菖蒲がそっと、瀬奈の腕を取る。
「うん」
瀬奈はもう一度うなずくと、ゆっくり歩き出した。
――快を守ると決めたくせに、今のあたしは……快から逃げてる。自分が傷つくのが怖くて……。
街の明かりから少し離れた場所に建つ菖蒲の家。二人はそれまでより少し増した闇の中、玄関のドアを開け、中に入った。
「ありがとね」
翌朝、瀬奈は朝食を終えると帰り支度を始めた。
「昨日は久しぶりに楽しかったよ」
髪を整えながら言う瀬奈に、菖蒲が微笑む。
「あたしもいい息抜きになったよ。今日からまた、勉強頑張るぞ」
「頑張って」
髪を結い、いつものいかついシルバーアクセサリーを身に着けた瀬奈が肩越しに菖蒲を見る。ベッドで体育座りをし、雑誌をペラペラめくっていた菖蒲はふと指を止めると、雑誌を傍らに置き、心配そうに瀬奈を見た。
「瀬奈、神童くん……」
「うん」心配顔の友人に瀬奈が少し寂しげに笑う。
「帰ったら……快に連絡するよ。まだ、怖いけど……」
「大丈夫?」
菖蒲の心配気な瞳が瀬奈をじっと見つめている。瀬奈は菖蒲から視線を外すと、窓から差し込む陽の光の中、少しうつむいた。