瀬奈を見送った後、その日は遅めの出勤だった紗織は、快の部屋を訪れ、優しく声をかけた。

「瀬奈ちゃん、学校行ったよ」

 紗織の言葉に、ベッドに横になったまま快は反応しない。

「快、夕べの事だけど……」ベッドに近付き、紗織が昨夜の耕助の暴言を詫びようとする。と、

「ごめん……」

 快が小さな声で先にそう言った。

「夕べは……ごめん。勝手に出てっちゃって……」

 快の言葉に紗織の目頭が熱くなる。

「そ……そうね……。次からはちゃんと連絡してね」

 紗織は微かに声を震わせながらも明るくそう言うと、足早に快の部屋を出、リビングへ向かった。

「う……」微かに嗚咽を漏らしながらも、必死に声をこらえる。しかし、短い廊下を抜け、誰もいない静かなリビングに入った途端、紗織は号泣した。

 あの子はこれからどうなっていくのだろう?

 優しく、少々奔放な兄・爽と比べると、快は勉学も部活も真面目一本で、友達がいない訳ではないが、夜遊びやバイク、ゲーム等一切やらず、たまに山科隼人という同級生の家に泊まるくらいで、こんな子と付き合って果たして楽しいのだろうかと、瀬奈を心配するくらいだが、その反面実は少し自慢にも思っていた。しかし今、その自慢の息子が"うつ病"と診断されている。それは紗織にとって、少なからずショックを与えていた。

 涙が止めどなく溢れてくる。"うつ病"に対してきちんとした知識はなくても、それが重い病である事は名前で判る。

 ――あの子が一体何をしたの? それとも、わたしたちが何かしたの……?

 自責の念が悔し涙となって次から次へと溢れてくる。紗織はそのまま、悲しみと悔しさの渦に身を任せた。



 ――生きてる資格なんて……あるのかな。

 紗織が出勤した後、一人きりになった家の中で、快はぼんやりと天井を見上げていた。

 ただ横になっているだけなのに、頭に浮かぶのは暗くて重い感情ばかり。身体が重くて辛い。もう、いい加減、楽になりたい。

 暗澹(あんたん)たる思いでのっそりと起き上がり、陰鬱な眼差しで窓に向かう。鍵を外して開け、顔を出すと、眼下に庭が広がった。

 そっと視線を上げ、住宅が建ち並ぶ道を見る。近所に住む外国人男性が、愛犬を散歩させているのが見えた。

 ――あの人、ヤクの売人とかじゃないのかな。

 脳裏にテレビでよく見る夜の繁華街の映像が浮かび、快は男性をじっと見つめた。ドラッグでもすれば、少しはこの気分もすっきりするかもしれない。