携帯電話を閉じて、せっかくだから楽しもうと心に決める。家にこもっていても快の事ばかり考えてしまい、結局、寂しくて悲しくなるだけだ。数少ないアクセサリーを収納しているプラスチックのケースからピアスと指輪を取り出し装着する。瀬奈の好むアクセサリーは女の子っぽくないシルバーアクセサリーばかりで、当然、格好もそれに合うカジュアルなデニムが定番となっていた。

 クローゼットから黒のTシャツを出して袖を通し、デニムのベルト通しにウォレットチェーンをつけ鏡の前に立つと、ロック系ファッションに身を包んだ瀬奈が出来上がっていた。

 よしっ! モードを"快"から"菖蒲"に切り換える。

「あら、出かけるの?」

 用意を全て整え、リビングに下りて来た瀬奈に、珍しく家にいた母親の愛美(まなみ)がそう、声をかけた。

「……うん」

 まるで足元から全身を舐めるように愛美が瀬奈を見ている。瀬奈はそれだけ言うと玄関へ行き、スニーカーに足を入れた。

「快くん?」

「ううん、菖蒲」

「あんたさ……」

 靴紐を結ぶ瀬奈の背中に愛美の声が降る。「もう少し"マシ"な格好できないの? 何よそれ、まるで男の子じゃない」

「……」

 無理やり切り替えた気分が、再びズシリと重くなるのを瀬奈は感じた。スニーカーの先に散らばる姉のパンプスやヒールが忌々しい。瀬奈は唇を噛んで靴紐をキュッときつく結んだ。

「もっと女の子らしい格好しなさいよ」

 愛美の言葉を背中で跳ね返すようにドアを開けて外に出る。途端に、溜め息がこぼれた。瀬奈は、この家が嫌いだった。

 愛美の言う"女の子らしい"とは一体、何なのだろう?

 バス停へと歩き出しながら、瀬奈は左手中指のシルバーリングを見た。胸がむかむかしている。

 ――メイクして髪巻いて、ピンク系のスカートとか、Tシャツにキャミでも合わせろ? あたしにそんな格好しろっての?

 愛美の言葉が腹立たしい。瀬奈は口を引き結び、足を早めた。

 愛美も姉も、そんなに"女"を前面に押し出して何がそんなに楽しいのだろう? 正直、瀬奈は全く理解できなかった。それどころか、瀬奈は二人を軽蔑していた。快以外の男の視線など、瀬奈には必要なかった。

 遠くにバス停が見えて来る。苛立ちがビークに達し、瀬奈は駆け出した。自分は中身で勝負している。確かに快にも指摘されるし、快に対してなら、そんな格好をしてもいいかもしれないと、時々は思う。でも、今日はそんな必要ない。"素"の自分でいい。

 程なくしてバス停に到着した。朝と昼の間の中途半端な時間なので、他に誰もおらず、瀬奈は何となく安心した。