冷蔵庫から牛乳を出し、グラスに注ぎながら爽が尋ねる。
「あ……うん」
ダイニングテーブルで紅茶を飲んでいた瀬奈は、ふっと、落としていた視線を上げ、何か喉に詰まっているような感じの返事をした。
「予約外なんて、調子悪いのかな?」
「……」
瀬奈の前に座り、グラスに注いだ牛乳をあおりながら爽が呟く。グラスの中で白い液体がユラユラと緩やかに速度を落としながら揺れていた。
瀬奈はその様をじっと見つめたまま、ゴクリと唾を飲み込んだ。
――そう、あたしも気付いてた。今日は予約外の通院。
今までなら快の小さな変化に敏感に気付いて反応、または行動できていたのに、今はこうしてじっと座って呑気に紅茶なんて飲んでいる。
――ついて行くべきだったのかな……。
今日は紗織が仕事でいない為、優月を預けられない。それを理由に快を一人で出してしまったが、優月を連れてついて行く事もできた。
――あたし、やっぱりどうかしてる。
ベビーラックに寝かせていた優月が目を覚まし、小さく声をあげ始める。瀬奈は苦々しい表情で立ち上がると優月の側に行き、優しく抱き上げ、頭を撫でた。
「優月は夜泣き酷いの?」
牛乳を飲みながら爽がまた尋ねてくる。
「ううん、最近は朝まで寝てくれるようになったから……」
生後二ヶ月目あたりから、優月は夜泣きがなくなり、朝まで寝てくれるようになった為、瀬奈は慢性的な睡眠不足から解放され、少しは気持ちにゆとりもできつつあった。が、それでも、快との距離は縮まってはいなかった。そしてそれは瀬奈の中でずっと引っ掛かっている。
――あたしの気持ち、元に戻るのかな……。
ぽっかりと口を開けた二人の間の闇。瀬奈はその穴の前でどうしていいか判らず、ただじっと立ち尽くしていた。
「――じゃあ、眠剤と、少し薬も増やしておきましょう」
診察を終えた石崎はそう言って、優しく快を見た。
「……はい」
石崎の言葉に快は素直にうなずいてみせたが、その瞳に感情はなく、ガラス玉のように黒い闇をたたえていた。
「じゃあ、何か変わった事や症状に変化があったらすぐに来てくださいね」
相変わらず優しい口調で石崎が快にそう声をかけると、快は小さく頭を下げ、何も言わずに診察室を出、隔離された待合室に戻った。
――これでいい。
空いている席の隣にデイバッグを置き、うつむいてため息をつく。するとしばらくして、看護師が処方せんを持ってやって来た。