「快、何か……言ってましたか?」
「"病院にはもう戻らない"と――」
「……」
耕助の言葉に瀬奈は唇を噛んだ。こんな風に家族皆でもう何度、快を心配してきただろう。
「……あたし、行ってきます」
瀬奈は二人にそう言うとすまなそうに軽く頭を下げ、快の部屋へ向かった。
結婚し、正式に夫婦になった二人だったが、寝室は別のままだった。優月の夜泣きで快の生活リズムを乱したくないと言うのが、その理由だった。
「快」
小さく声をかけ、そっとドアを開けると、ベッドで優月の寝ているのが見え、そのすぐ傍らに快がいるのが確認できた。
「優月は?」
「さっき母乳飲んでうんちして、よく寝てるよ」
「そう」
優月の寝顔が瀬奈のダークな感情を浄化してゆく。瀬奈はベッドに近付き、優月の顔を見た。
――ごめんね、いきなり一人にして。
「瀬奈」彼女の背中に快の声が滑る。瀬奈はゆっくり振り返った。
「もう……病院には帰らない」
「……うん」
快の言葉に瀬奈はいつものようにうなずいた。一般的には賛成できる事ではないが、否定はできない。次の言葉を待ちながら出産直前までほぼ毎日見舞いで通っていた入院生活の事を振り返った。
毎日朝晩点滴詰めで、毎日必ず数時間拘束されて、外との交流もないし、景色も変わらない、空気の流動も少ない。ただ続く検査と点滴の日々。それは、健康な人でも病気になりそうな生活だった。
「もう……限界だよ、いられない」
快のかすれて疲れ切った声が空を舞う。と、その声は突然、本当に突然に、瀬奈に絶望をもたらした。
――もう……あたしも限界。
「……判った」
――もう、ついていけない。
返事をしながら瀬奈は自分の心がゆっくりと崩れてゆく音を聞いた。