「まだ、精神科の先生に確認しなきゃならないけど……今のところ俺は、堕胎に同意するつもりはない。確実に障害が出ると言われない限りは、産んでほしいし、殺人に手を貸すつもりはない」

 いつになくはっきりとした快の口調に瀬奈がまた息を呑む。本気なんだと、感じていた。言葉の端々に現れている快の決意。瀬奈はその決意の強さに自身の気持ちが揺れている事に気付いた。

「とにかく明日、病院行って来るから、明日の夜、もう一回話し合おう」

 夜風がコートを着ていても寒さを体に伝えてくる。快はそっと、瀬奈の手を握った。

「冷やすな」

 まだ手袋をしていない冷えた瀬奈の掌を、快が力強く握る。

 同じ歩調で足を進めながら、瀬奈は握られた手に意識を集中させた。

 ――薬の事もだけど……あたしが迷ってる本当の理由は……やっぱり"あれ"なんだよ。

 菖蒲とよく行くファミレスの窓から、暖かな光が歩道に漏れている。

 家族を愛せなかった自分が、新しい家族を愛せるんだろうか……?

 まるで不安に押しつぶされそうな瀬奈の気持ちを写し出すように、黒い雨雲が高度を下げてくる。

 ――どう愛したらいいのか、全然判らない……。もしお腹の子が今のあたしみたいになったら……それに……。

「急ごう」

 快が少し歩調を早める。

「うん」

 瀬奈は再び歩調を合わせる為、足を早めた。

 紫だった雲がどす黒く変わってゆく。

 ――"うつ病"が……遺伝するかもしれない。

 雨がポツポツと降り始める。傘を持っていない二人はコートのフードを被り、更に先を急いだ。

 ――きちんと調べてみなきゃ断言はできないけど……。昔、誰かからそう聞いた事がある。

「大丈夫か?」

 何も知らない快が瀬奈の体を気遣い、声をかけてくる。

「うん」

 答えながら、瀬奈は黒い闇を見上げた。

 ――遺伝しないとしても、この妊娠が快の精神状態に負担をかけるんじゃないか、それも心配でたまらない……ううん、それが最大の不安……。

「……大丈夫」

 気持ちとは裏腹に笑顔を作り、瀬奈が快を見る。

 ――いろんな事が不安で……苦しい。

 暗雲が空を覆い尽くし、瀬奈の胸も染めてゆく。

 ――不安で……たまらない。

 快が歩き出す。瀬奈は握られた手を握り返し、再び彼に歩調を合わせた。