「ていうか……静かすぎない?」

「そうか?」

「確かに……誰もいないし声も聞こえない」



見事、ロイを連れ出すことに成功した一行。

脱出するさい、堂々と正門からは出られないため取り敢えず人気の少ない方に移動していた──


ギルシードが戻ってから、ケイはしきりに問い詰めた。



「ちゃんと渡してくれた?」

「ああ、メイドに渡したぜ」

「ならよかった。メイドで父ちゃん知らない人いないもん」

「そうなのか?」

「顔がいいからね」

「……そうかよ」



小声で少し話して部屋を後にする。そのときはもうギルシードは兵士の格好をしておらず、ついでに言うとのびていた兵士の姿もなかった。

それを不思議に思ったケイはまた質問をした。



「ねえ、ここにのびてた兵士は?」

「掃除したっつったろ」

「え?」

「どっかの部屋にくくりつけられて寝てんじゃね?」

「……」

「ギルさん、僕の眼鏡はどこかにありましたか?」

「あ?知らねぇな。そういや没収されたんだっけか」

「……そうですか。ところで、どこに向かってるんです?」

「……」

「……はあ。そんなことだと思ってましたよ」




実は、ギルシードはロイを奪還した後はまったく計画を立てていなかったのだ。

こうして歩いてはいるものの、行く宛などない。まずは階段を降りるのが先決だと思い階段に向かってはいるが……

その後のことは、ギルシードでさえわからないのだ。


そんな彼にロイはため息をつく。話題を変えようとケイに話しかけた。




「きみはどこから来たの」

「俺?俺はちゃんと裏門から入ったけど」

「じゃあ、きみはちゃんと裏門から出てね。怪しまれるから」

「わかった。でも俺がうろうろしてても別に変に思われないから、途中までついて行ってもいいか?俺、なんだかわくわくしててさ」

「おいおい、これは遊びじゃねぇぞ」

「わかってるよ。途中までだからさ、ねっ」

「……まあ、ロイのこと知ってるし。好きにしろ」

「やったね」



ケイは嬉しそうにガッツポーズをした。苦笑しながら2人は見ていたが、それが仇となったのか階下から上がって来た兵士に気づかなかった。

先頭を歩いていたギルシードが階段を降りるため下を確認しようと顔を壁から覗かせると、ちょうど青白い顔をした兵士が走り上がって来たところだった。



(やっべ!)



身を隠すところなどまったくなく、固まってしまったギルシード。そんな様子に気づいたのか、後ろの2人もえっ!と立ち止まった。

そして、まもなくして兵士が目の前を走る。



(もう、ダメだ……!)



と、ギルシードは目を瞑ったが、あろうことか兵士はそのまま3人を素通りした。そして、また階段を上がって行き見えなくなった。

気づかれなかったことに安堵する。



「ひぇー……寿命縮んだ」

「ふう……まだ心臓バクバクしてる」

「ですが……なぜあんなに急いでいたんでしょうか」

「さあ?あんなこの世の終わりが来るような顔してたもんな。なんか失敗したんじゃね?」

「は、早く行こうよ。もしかしたら戻って来るかもしれないし」




その兵士とは、ルートにパーティーを中止させるように言われた兵士である。顔面蒼白だったのはそのためだが、そんなことを3人が知るよしもない。


ケイがギルシードの背中を小突くが、ギルシードは降りようとしない。なんだ?と思って声をかける。



「おい、行かないのか」

「行く宛がないんだよ。彼は頭はキレるけど、爪の甘いところがあるから」

「てめぇ……ま、しゃあねーよな。ロイ、おまえ以前脱け出したときどのルートを使った?」

「確か、庭にある通用口ですかね。資材を運ぶときに庭は正門からは遠いし裏門では狭いし、ということで通用口があるんです。鍵が掛かっているはずですが、専門のプロがいるので問題ないかと」

「よし、そこに行くぞ」

「え、でも鍵掛かってんだろ?」



ケイの無邪気な問いかけにふふん、と鼻で笑ったギルシード。ニヤリと口角が上がっている。



「俺自体が鍵だから心配いらねぇ。黙ってついて来い。庭はどっちにある?」

「階段降りて真っ直ぐ行けばあります」

「よし、行くぜ」



ギルシードの跡をついて行く途中、ケイは悶々と考えていた。



(俺自体が鍵?なんだそれ。鍵持ってる様子はないし)



頭上にハテナマークが浮かんでいるが、それをロイは横目でちらっと見る。



(こんな健全な子供にこんなことをさせていていいのだろうか。ついて来ることは構わないが、育ちがいいのはなんとなくわかる。

それに、適応者が怖くないのか?)



まだギルシードが適応者だとは明かしていないが、ロイが適応者であることは知られている。それなのに動ずることなく接してくる。

それがロイには疑問だった。



「よっし、見えて来たぜー」



ギルシードの言葉でいったん考え事を打ち切ったロイは、前方に目を向ける。


未だ変わらぬ庭の風景、暖かな日差し、大きな噴水。

そして、思い浮かぶ母のぼんやりとした笑顔。



(ここに来るのは、何年ぶりか)



ロイは眩しそうに目を細めた。


幼き日に数回母と遊んだことのある庭。そのときに通用口の存在を知ったのだ。

遠い記憶。おぼろ気な声。短すぎた自由なひととき。



(あの頃は、幻に過ぎない)



自分が適応者でなければどれだけよかったか。そんなことを幾度となく反芻した。

閉じ込められた数年間。死にたいと思わなかったことのない地獄のような日々。

しかし、母を置いては逝けない。

その思いだけで踏ん張って来たのだが、今では逆に置いて逝かれてしまった。


短すぎた自由なひととき。


自由とはなんだろう、とロイはいつも考えていた。窓のない部屋の隅に座り、顔を膝に埋め悪戯に時間を過ごす。

ぼーっとしたり、涙をただ流したり。

そんなときに、ふと考えていた。



(自由とは、なんだろう)



時たま訪れる妹。その顔は無邪気な笑顔で満たされていたが、ロイにとっては邪気な笑顔にしか見えなかった。

自分にはない自由というものを、妹は持っている。しかし、その手に握っているわけでも、身につけているわけでもない形のないもの。



それをどうやって手に入れればいいのか。



ロイはそのことばかりを考え、隅に座り涙を流した。そして、ある日ふと思った。



手に入れるんじゃない、掴みに行くものなのだと。



自分の意志で掴まなければ、自分のもとにはやって来ない。妹にはもともと備わっていただけであって、自分には備わっていなかったのだ。


世の中は公平にはできていない。


そのことをロイは幼いながらも確信し、密室という檻から脱け出した。そして、母に会いに行こうとした。けれど、まだそれだけでは自由にはなれなかった。

母の部屋の場所がわからない。

誰かに見つかる恐れもあって、恐怖に襲われたロイは通用口へと走り出した。


走って走って走って走って……ひたすら走って……


噴水の横を通りすぎ、庭の草木で腕や足を擦りむきながら思い出を振り切る。


(もう、イヤだ。ここから出るんだ。自由になるんだ)


自由を求めて通用口にたどり着いたが、生憎鍵が掛かっていて出られない。


(出して出して出して!)


石のドアを叩くが、びくともしない。


(どこか、どこかに隙間は……)


ロイは隙間を探すが、さすがにそこまで管理を怠ってはいなかった。小さな身体が通れるほどの隙間などどこにもない。あったとしても、とても小さなものだった。

ロイは途方に暮れていたが、ちらっと視界の端に光るものを見つけた。


(脚立……なんで?)



それは、錆びた鉄製の脚立だった。恐らくしまうのを忘れ去られ、長年ここに放置されていたのだろう。

脚立があったところはちょうど草が生い茂っており、サボっているのが見え見えだ。しかし、それはロイにとっていい結果をもたらした。



ロイはその脚立でどうにかできないかと頭をフル稼働させた。目の前の石のドアは大人でも登れない高さがあり、脚立を使っても向こう側へはたどり着けない。

それなら……とロイが目をつけたのが、植えられている木だ。木に上ればどうにかして向こう側に行けるかもしれない。

ロイは木に脚立をかける。そして、木をよじ登ってなんとか城壁の上まで登った。高さにして大人2人分ぐらい。幼いロイにとっては飛び降りるにはあまりにも危険な高さだった。



(どうしよう……降りられない)



ここまで来たのに諦めるのか……とロイが眼下を絶望的な瞳で見つめていると、ちょうど真下に植え込みがあるのを見つけた。

そこには背丈の低く平らに広がるように植えられている木があった。青々としており、いいクッションになりそうだった。

だが、ロイは自信がなかった。



(あそこに落ちれば大丈夫だけど、外せばタイルだ)



この葛藤。降りるか、降りないか。降りて自由を手に入れられるか、それとも死を手に入れるか。

そして、ロイは決めた。一か八か、飛び降りようと。身体が軽いから、たぶんいける。



(大丈夫、大丈夫、大丈夫……)



心の中で必死に繰り返し、深呼吸をする。

そして、目をぎゅっと瞑り意を決して飛び降りた。身体をなるべく小さく丸めて、背中から落ちる。


ほんの数秒だけなのだろうが、そのときのロイは何分にも、何時間にも感じられた。

今までのことが走馬灯のように駆け巡る。


母への感謝、父への諦め、妹の笑顔、自分に対する怒りや憎しみ。



しかし、無事に木の上に落下できた瞬間、そのすべてがぶっ飛んだ。

城から出られたという解放感がロイの身体に歓喜を満たす。しばし呆然と空を見上げていたが、突然身体を起こし走り出した。


その後、師匠と出逢うわけだがロイは気づかなかった。気づくはずもなかった。



ロイが去った後、木に立て掛けられたままの錆びた脚立。

その脚立は、ある男の手によって下ろされ、また同じところに置かれた。



「よくやった……ロイ」



第一王子であるカルトの成人式そっちのけでこちらの様子を見ていた男。


彼の着ている黄金の刺繍が施されたマントが、風で力強くたなびいていた。