「これで……良いんだな?」
『ああ。シーナの身体に無事、影は帰された。礼を言う』
「いや、こちらこそ。ところで……こいつはいったい何なんだ?」
今、レンはマーキュリーが造り出した空間に立っている。
その空間はシーナの病室に繋がっているようで、マーキュリーが先ほどシーナの影をそこに送った。レンもついて行きたかったが、生憎生身の人間は通れないらしい。
そして、レンは隣に佇んでいるちびレンを指差した。
『それは、おまえの記憶だ。幼き日の記憶。だがおまえのもとに帰ることはできない』
「なぜだ?」
『それは、独自の感情を持ってしまった。今のおまえの感情とは相容れられない。自我が芽生えた、と言う方がわかりやすいか』
「なるほど……では、俺の二度目の浄化の理由はわからずじまいだな」
『その方が都合が良いだろ?悲惨な記憶だった場合おまえは壊れるかもしれない。頭が錯乱状態になり、下手すれば死ぬぞ』
「それもそうか……で、こいつはこれからどうなるんだ?」
『本人次第だ』
マーキュリーの言葉に驚くレン。このままお役御免、で消えることはないのだろうか。
ちびレンはそんなレンの心情を他所に、どこかに行こうと足を進めた。
「おい、どこに行くつもりだ?」
『……』
ちびレンは振り返ると、肩をすくめ手のひらを上に向けて腕を上げた。ついでに首も少し傾げている。
宛もなく、ということらしい。なかなかこ洒落たジェスチャーだ。
「では、気を付けろよ。また会えると良いが」
『……!』
ちびレンは今度は、ピキーンと親指を立てると、前に突き出して同意した。そして、影の世界と同化しどこかへと溶け込んで行った。
「俺って……あんなにテンション高かったのか?」
『まあ、確かにカワイイやつだったな』
「……」
『負けず嫌い、食いしん坊、泣き虫……まだまだあるぞ?』
「聞きたくない」
『だろうな。ま、真面目な話をしてやろう……恐らく、奴等は今後行動を起こす』
「なに?」
『おまえたちの甚だしい活躍のおかげで、相当ご立腹なようだからな。被害は拡大し、さらに激化するだろう』
「……」
では、今回の行動は奴等の気を逆撫でしてしまったということなのだろうか。
レンは面倒だ……とため息を吐いた。
何をやってもレンたちはお邪魔虫なのだろう。ご令嬢のときといい、今回の件といい……逆恨みは怖いという話だ。
『ここからは我らは干渉しないつもりだ。万が一のときがあれば助太刀するかもしれんが』
「人間を甘く見てもらっては困る」
『だな。ではまたな』
「ああ。俺たちはただ、護りたいものを護るだけだ。そのためには命も惜しくない」
『……』
マーキュリーは一瞬驚いたような表情を見せた後、優しく微笑んだ。
だんだんと風景に溶けていくが、その微笑は最後に消え、全てが消える寸前に呟いた。
『ヴィーナスも、同じことを言っていた』
……私は、ただ護りたいものを護るだけ。例えこの身が滅るんだとしても、私は闘い続ける。そのためには、命なんて惜しくないわ。
彼女の勇姿を頭に浮かばせながらマーキュリーは消えていった。
やがて、レンの身体を空間が現の世界と同化し始める感覚が襲って来た。
「で、どーだったんだ?」
「無事、戻れたようだ」
「そうですか……では、僕たちも戻らないといけませんね」
「もう二度とこんなとこ来たくねー……」
「そうだな。トゥルークに戻るか」
「だな」
「……」
ロイはレンの言葉で一瞬顔を引き締めた。しかし、それはほんの一秒にも満たないぐらいだったため、誰も気づかなかった。
ロイは満面の笑みを顔にたたえ意地悪な発言をする。
「珍しいものも見れましたし」
「……はあ?」
ギルシードはなんとなく嫌な予感がしたため、思わず反応してしまった。
現の世界のゲルベルの森はなんら代わり映えのない普通の森だ。
真上では小鳥が枝から枝へ踊るように移動している。どこからか囀ずりさえ聞こえてくるぐらいだ。影の世界とのギャップが激し過ぎてイマイチ達成感が湧かない。
時刻はお菓子時、と言ったところか。
レンは穏やかな足取りで歩を進める。
「え、なんですか?心当たりでもあるんですか?」
「う……いや、ない。特にない」
「そうですか?僕にはありますよ。ギルさんがレンさんにお姫様「やっぱ心当たりあるわ!でもそれじゃねえ。おまえ、隠してることあるだろ」
「……なんですか」
冷たい口調が聞こえてきたため、レンは驚いてロイを見た。
ロイの瞳には鋭い光が見え隠れし、眼鏡がそれをやんわりと抑えているように見える。
今にも噛みついて来そうな勢いを感じた。
しかし、そんなロイを見ているのか見ていないのか、ギルシードはさらに追求する。
「俺が気づいてないとでも思ってたのか?ハッ!甘く見てんじゃねえよ!トゥルークじゃ尾行されるわ、てめーはビクビクしてるわで変な空気だったじゃねーかよ!ああ!?」
「……」
「黙ってんじゃねえー!なんとか言えよコラ!」
「おい、ギルシード……」
「いえ、レンさん大丈夫です。ギルさんの言葉はもっともなんですが、トゥルークに着けばきっと判明しますよ」
言い争い……ギルシードの一方通行だが……が激しくなる前にレンが止めに入った。
しかし、それを優しく断るとロイは力なく笑った。そして、さらに悲しそうな笑みでヒントを出した。
今にも泣き出してしまいそうなほどに、その微笑は弱々しく見えた。だが、決して泣きはしないだろう。
その黒ぶち眼鏡が、抑えているのだから……
あっさりとヒントを出されたため、ギルシードは勢いを削がれたのかそれ以来言葉を発しない。
それどころか、ロイを一度も見なかった。
その静寂は夜、トゥルークに着くまで続いたのだった。
「おやすみなさい皆さん」
「ああ、おやすみ」
「……」
ロイの貸家のそれぞれの部屋の前で立ち止まり挨拶を交わすが、ギルシードはやはり黙ったままだった。
そんな彼をロイは敢えて無視し、おとなしく自室へと入って行った。
ギルシードもドアノブに手をかけるが、レンが引き留めたため、そのままピタリと止まった。
「ギルシード」
「……」
「覚悟しておけ」
「……なんでだよ」
「ロイの身にこれから降りかかる現実を」
「んだよ……訳わかんねえ」
「俺もそれはなんなのかはわからん。だが、それはロイにとってはとても悲しいことなんだ。見ただろ?あの表情を」
「……俺は寝る」
と、レンの言葉を最後まで聞かずに自室に引っ込んでしまったギルシード。
レンはその様子にため息を吐きながらも、ドアノブに手をかけ閉める。
ドサッとベッドの上に座ると、ぽつりと呟いた。
「ギルシードも、素直ではないな」
人に心配をかけないように心の内を見せない彼と、人の心配をしながらも心の内を見せない彼。
言葉は違えど、意味は同じだ。
要するに、素直ではない、ということ。お互いを想っているからこそ、このような結果になってしまう。
それを本人たちはわかっているのだろうが……そのことが逆に本人たちをさらに殻に閉じ込めてしまう。
ただ素直に、さらけ出し心配すれば……
あんなことには、ならなかったのかもしれない。