「やれやれ、俺様が来なかったらどうなっていたことか」

「助かったよ、マスター」

「まあ、こっちがたくさん手に入るから良しとしよう」

「……今の感謝を取り消したい気分だ」

「おいおいどういう意味だそりゃ」




レンとマスターは現(うつつ)の世界に戻って来た。気絶している女性三人と共にあの居酒屋にいる。

マスターはレンの感謝に対し指であの形を作ったため、レンはそれにさらにげんなりとさせられた。




「にしても、数が多かったなー。レンが太刀打ちできなかったとは」

「奴等のねぐらは井戸だ」

「井戸だぁ!?そうか、なるほどな。あそこに潜んで居やがったのか」

「今後、それらには結界を張った方が良い」

「だな。ちくしょー!また骨の折れる仕事が増えちまったもんだぜ」

「任せられるのはマスターだけだ。他の連中は使えないと今日わかった」

「俺も、そんな輩に頼んだのがバカだったぜ。まあ、適応者が誰ひとりとしていなかったのが痛手だったな」

「まあ、仕方のないことだ」




彼らの言う適応者とは、奴等の世界、つまり影の世界に入り込める人間のことを指す。

これは生まれつきの物で、手に入れようと思っても意図的には無理な代物だ。

マスターもレンも適応者であるために、今回のようなことができた。

そして、マスターが使ったあの鈴。あれらは影の世界から現の世界へと戻るための道具だ。

鈴以外にもその効力を持つ道具はいくつかあるが、大体は鈴が使われている。




「そいつはお役にたったかい?」

「大助かりだ」

「そりゃ良かった」



マスターの示したそいつとは、レンのポケットに入っている白いネズミのこと。

彼はそのネズミをマスターから譲り受けたのだ。詳細な経緯は彼らにしかわからない。



「さて、そろそろ夜もふける。宿に戻ってゆっくりと休むんだな。まだこの街に止(とど)まるのか?」

「そのつもりだ」

「そうか。ここは観光地だ。たまには羽を休めて堪能しろよ」

「ああ、報酬俺にもわけてくれよ」

「あたぼーよ!じゃあな」

「ああ」




マスターは上機嫌でレンを見送った。

しかし、彼がここに止まると決めた理由は観光のためだけではない。

気がかりなのは、あの踊り子だ。




(なぜ、彼女は狙われた?)




ごく普通の女性。特別な気配もしなかった。

令嬢の女性が狙われるのはわかる。彼女たちの魂は純粋だからだ。闇に潜む者にとってその光は美味しくて堪らない。

奴等はその魂を喰らい、闇に染め上げることに喜びを覚える。まったくもって悪趣味だ。


そんな奴等が彼女を求めた。しかし、すぐに諦めた。



(わからん。もう少し様子を見る必要があるな)




彼は疲れた身体を休めるため、宿の風呂に入り床についた。

ネズミは一旦壁にかけてある上着のポケットの外に出されるも、寒いのか自分からポケットに潜り込んだ。




(明日はどうするか……)



そんなことを思いながら、彼は眠りについた。




そのとき、隣の部屋に誰かが戻って来た気配で飛び起きた人間が一名。それはあの踊り子だ。




(はあー……ビックリした)




神経を張りつめながら浅い眠りを繰り返していたため、いきなりの物音に驚いてしまったのだ。


そして、目がパッチリと覚めてしまった。



(どうしよう……誰かはわからないけど、責任を取って欲しい)



やっと眠りにつけたと思ったらこの有り様だ。彼女は隣の住人を恨めしく思った。

右の壁を睨み付けながらベッドの中でため息をつく。こんなことをしても意味が無いし失礼だと思ったのだ。




(あー、どうしよう。明日絶対に目の下に隈ができちゃう。化粧で誤魔化せればいいけど、わかる人にはわかっちゃうのに)



彼女はまたため息をついた。まだまだ夜は長い。しかし、眠れない。



(団長になんて言えばいいのかしら。なかなか眠れませんでした?お腹が痛すぎて無理でした?隣がうるさくて眠りにつけませんでした?ダメだ、どれも言い訳にしかならないし似たり寄ったりだ)




はあ……とまた彼女がため息を吐いたとき、布団の上に何かが乗った気配がした。




(えっ……もしかして、奴等!?)




彼女はピキーンと金縛りにあったかのように動けなくなった。彼女の心の中にあるのは焦りと恐怖とあの感触だけだ。


カタカタと震える身体。


そして、頬に生暖かい小さな物が当たった。




「ひゃ!」




彼女は心底驚いて布団をバッと翻した。そのとき、チュー……とか細い声が聞こえた。

何?と思ってベッドの下を覗くと、白くて小さなネズミが一匹、そこで伸びていた。



「ご、ごめんなさい!」



彼女はそのネズミをそっと持ち上げると、胡座をかいて膝の上に乗せた。

そして、その小さな身体を擦ってあげる。



(ど、どうしよう……死んでないよね?)



どうか死んでませんように、と願いながら擦り続ける彼女。やがて、ネズミの尻尾がちろっと動いた。続けて耳がぴこぴこと動く。



(良かった、死んでなかった……でも、なんだか動きが可愛い)



円らな瞳を開かせたネズミに心底そう思った。

ネズミは起きたとたん、膝から飛び降りベッドの上をテテテテ……と動き始める。

その動きがまるでゼンマイ仕掛けのおもちゃそのもので、彼女は微笑んだ。




「君は……どこから来たの?」



自然と話しかけてしまった彼女。恥ずかしくなって赤面する。今の行動は幼いと思って恥じたのだ。


ネズミはその問いにピタッと動きを止めると、さっきまで彼女が睨み付けていた壁をカリカリと前足で引っ掻いた。




「え、お隣さんなの?」



ネズミはチューと鳴き、まるで返事をしたかのように彼女の目を見た。




「え、そうだったの?わたしったら……お隣さんの物音で起きてしまって恨んでしまったわ。内緒にしてくれないかしら」



ネズミにこう頼む彼女も彼女だが、ネズミもネズミだった。

ネズミはそれを聞いた直後、廊下へ出ようと駆け出す。




「あっ……待って!お願いだからひとりにしないで……」




彼女はそうネズミに向かって懇願した。ネズミはピタッと動きを止める。

そして、しばらくうろうろと走り回っていたが、ふと何かを見つけたようで、彼女の荷物の中に飛び込んだ。

彼女はそれを不思議そうに見つめていた。


しばらくして、ネズミが何かをくわえて這い出て来た。その何かとは、非常食のクラッカーの一枚。

どうやらお腹が空いていたらしい。


ネズミは彼女の膝の上に飛び乗ると、それをガジガジと前歯を使って食べ始めた。

どうやら、これで手を打とうと言うことらしい。




「ふふふ……ありがとう」



彼女はその姿に愛着が湧き、微笑んだ。

その言葉に耳をピクッと動かしたけれど、ネズミは食べ続ける。


食べ終えたネズミは毛繕いを済ませると、枕の隣で丸くなった。お腹いっぱい食べて眠くなったらしい。




「一緒に寝てくれるの?」



彼女はネズミを指で撫でながら問いかけた。しかし、ネズミはもう眠ってしまったようで反応しない。

しばらく撫で続けていた彼女だけれど、だんだん眠気が襲って来て欠伸が漏れる。



「ありがとう。お陰で……眠れそう……だよ……」



彼女は布団を身体にかけると目を閉じる。

やがて、あっという間に眠りについた。




「ご苦労、戻って来い」



隣の住人が壁に向かって話しかけると、ネズミは何事も無かったかのようにパチリと目を開け、彼女の部屋のドアの隙間から抜け出し、自分の部屋へと戻って行った。


彼女はそれに気づかずに、深い眠りについている。