『彼女はリーダーの化身だ。みすみすその命を絶えさせてしまうのは我らも避けたい。だから、我らと手を組まないか、レン』



と、項垂れていた顔を上げこちらを見た彼。その顔には悲痛な笑みが浮かんでいた。



「聞きたいことがある」

『なんなりと』

「……俺の記憶が消えた理由はなんだ」

『それは我らも詳しくは理解できていない。しかし、これだけは言える。おまえは忘れたくなる程追い詰められていたのだ、と』



それは、忘却の彼方へと消えていった昔の記憶。マスターと会ったそのときに消えた記憶。

化身が自らの力で記憶を忘れる、ということは不可能ではないらしい。


『浄化……忘れることを我らはそう呼んでいる。二度目の浄化の例は今までなかった。それに、それは我らにとっても望ましくないこと。だから、俺はおまえの影を引き留めた。マスターとかいう男の身体を使って』

「は……?」

『本人には言葉を発した記憶はないだろうが、その一部始終はその目で見ていただろう』

「俺の……監視をしていたということか」

『いや、現の世界でのおまえの動向は知らん。あくまでも、俺は保護者ではない』

「わけ、わかんねぇ……」




だんだんと混乱してきたため、頭を抱えた。

忘れたくなる程追い詰められていたって……なんだよそりゃ。

しかも知らなのかよ……なんなんだよ。


俺は……何者なんだよ……



俺が陰鬱になっていると、彼ははあ……とため息を吐いた。



『そうなるため、我らは化身の前には姿を現さない。だが、今は緊急事態だ。一刻も早くシーナを奪還しなければならない。そのためにはおまえらの力が必要だ』

「……おい、ひとつ聞く。なぜおまえたちはこの世界にやって来たんだ」




俺はもう自棄(やけ)に近い形で問いかけた。

彼は少しの間の後、教えてくれた。



『我らのいた世界では、異世界への憧れがあった。知らぬ大地、知らぬ生命体、知らぬ空気。それらに興味があったのだ。そのため、異世界への転送を目論(もくろ)み、数々の仲間が犠牲となった。

彼らは幾度となく失敗し、世界と世界の狭間の闇へと堕ちてしまった。しかし、あるひとりの女性が成功しようとしていた。そんな彼女のことを恨めしく、妬ましく思った同胞が彼女にべったりとくっつきついて行った』



そして、この世界へとやって来た。しかし、彼女は死んだ。同胞に活力や生命力を吸われ、異界の地にその足で立つことはできなかった。

だが、同胞はこの世界に自分たちの桃源郷を造り出した。それが、影の世界。そこで同胞は数を増やしていった。



『この世界と我らのいた世界とを結ぶ空間を造り出し、そこから少しずつ同胞は流れて来ている。しかし、この醜い姿になってしまうのか……と、最近では物好きしか訪問者はいないが』

「その空間が……ゲルベルの森にあるってことか」

『左様。そして、その第一人者である彼女は今でも転生を繰り返し、生きている』

「なんだと……!」

『この世界の神……フリードによってそう命じられているのだ。そして、俺たちはそのフリードによって呼ばれた選ばれし先鋭……我らの一部の神類は、我らの犯した罪の尻拭いをしにやって来た。もちろん、リーダーも……』

「その転生をしている彼女は今どこに?」

『そこだ』




彼が指差したのは、俺の方向。

呆気にとられていると、彼は立ち上がり俺のポケットに手を突っ込んだ。



『この白いネズミが、彼女本人だ』



いきなりポケットから引き出され、じたばたと彼の手の中で暴れるティーナ。

チューチューと抗議の声を上げている。



『巡りめぐっておまえのところにやって来た。おまえたち力のある者が現れるのを長年待ち続けて』

「……だから、か。長生きなのは」

『心当たりがあるだろう?死んだように眠るとき、それはちょうど転生をしているときだ……ちっ!』




ティーナが手を咬んだため、彼は渋々と椅子の上に乱暴にぼとりと落とす。

ティーナはそのまま彼を睨み付けた。


彼はきれいに残った歯形を忌まわしそうに眺めている。



「なるほど……ティーナは全て知っているというのだな」

『ああ……くそっ。恩知らずだな。俺たちが無理やり連れて来られたというのに』

「俺たち、と言っているが、おまえ以外に誰がいるんだ?」

『俺の他に、リーダーのヴィーナス、ロイの影のサターン、ギルシードの影のマーズ。そして俺、マーキュリーの4人だ。まあ、今は3人だがな』

「マーキュリー……」

『そういえば、まだ名乗っていなかったな』



聞き慣れない名前を次々と出され俺は困惑した。一度では覚えられない。



『今頃も、ロイとギルシードに説明をしているだろう……そろそろ終わりそうだな』

「わかるのか?」

『俺たちはテレパシーを飛ばしている。だからおまえとも話せる。だが、彼女とは話せないがな』




ちらりとバカにしたようにティーナを見たマーキュリー。ティーナは心外だ、とチューと高く鳴いた。



「マーキュリー……長いな」

『好きに呼べ』

「それならマーク、だな。これなら短い」

『……まあ、良しとしよう』




好きに呼べ、と言ったくせになんとも歯切れの悪い返答が来た。

横ではティーナが笑うかのようにちょろちょろと目障りに見えるように動いている。



『……時間だ。俺たちはいったん撤退する。迂闊に行動していては、奴等に勘繰られて仲間の命が危ない』

「ああ。また会えるのか?」

『多分、な。それまで死ぬなよ』



冗談とも取れない言葉を言い残し、去って行ったマーク。徐々に現の世界とこの空間が同化していくのを感じる。

ティーナは俺のポケットまでよじ登ると、頭から突っ込みすっぽりと尻尾まで収まった。


それを眺めていると、頭上から声をかけられる。




「どこに消えていたのかしら3人とも……?」



と、隣を見れば俺と同じように椅子に座っている面々がいた。

そして、正面には冷たいルカンさんの微笑み。その後ろに立って青くなっているグレン。



……目の前に、キラリと光る何かが動いた。




「うおっ……」



それは、手術用のメス。



「あら、避けたわね。さすが。後でたっぷりと教えてもらうから。でもその前にお客さんよ」



と、指で指されドアの方を向くと、ジェムニさんが立っていた。



「やれやれ、相変わらず乱暴だねあんたは」

「あなたほどではありませんよ」

「そうかい。そりゃ悪かったね」



と、短い会話がされた後真剣な表情になったジェムニさん。俺たちを見据えて話しかける。



「あんたたちと別れた後のシーナを教えに来たよ」