女性がひとり、噴水の縁(ふち)に座って足を浸していた。

彼女は踊り子。足を仕事の最中に挫いてしまい、こうして暗いときに冷やしに来たのだ。

お客にも仲間にもあまり知られたくないため、ひとりでここまでやって来た。



噴水の水音だけが響き渡る。

そして、影もまた、活動を始める。



女性の背後から忍び寄る黒い影。のそりのそりと近づいて行く。

後僅か、というところで、風を切る音が聞こえた。

ヒュンッと彼女の耳に音が入る。

彼女は驚いて振り返った。そこには見知らぬ男がひとり、大剣を持ち佇んでいた。


彼女は不思議そうに男を見る。





「……なるほど、狙いはきみか」

「え?」

「奴等の狙いだ。きみはターゲットにされている」

「あの……」

「きみは足を挫いた踊り子だろう?」

「っ!」




彼女は目を大きく見開き、動揺を隠せない様子だった。

しかし、男はそんな彼女を無表情で見つめるだけだ。




「……気づいていたんですか」

「まあな。気を付けろよ、奴等に狙われているんだ、こんなところをうろうろとするな」

「あの、奴等とは……?」

「コイツらのことだ」




ふと周りを見ると、蠢く無数の黒い影がたくさん見えた。

人型、犬型、鳥型……それらは徐々に彼女を目指して近づいて来る。




「ひゃあっ……」




彼女はそのおぞましさに小さく悲鳴を上げた。男はそんな彼女を横目で見ると、声をかける。




「何があってもそこを動くなよ」

「は、はいっ……」



男は大剣を構えると、影に向かって行った。影は声になっていない雄叫びを上げ、男に襲いかかる。

彼女は思わず目を瞑った。しかし、また目を開いて見た。

そして、息を飲んだ。



大剣を巧みに操り影を討伐していく男。次々と影が消えていく。

まるで、踊っているようだ。実に楽しそうに駆逐している。



(なんで、あんなに笑っているんだろう……)




彼女は不思議に思いながら、その様子を傍観していた。


大方片付いて来た頃、彼女は後ろにいる何かの気配に気がついた。間違いない、奴等だ。

しかし、ここを動くなと言われているため、動けずにじっと固まる。


はあ……と息遣いが耳元に聞こえて、ぞわっと身体中に鳥肌が立った。



(どうしようどうしようどうしよう……)




彼女の頭の中はパニック状態だ。そのとき、男が彼女の異変に気づき、走り出す。

パシッと腕を掴まれた彼女。身体の震えが止まらない。冷たい感触が直に伝わる。

カタカタと小刻みに震えていると、ぐいっと引っ張られた。



彼女は恐怖のあまり、涙を流し始めた。

恐怖、憎悪、嫌悪……それらが腕から身体を蝕む。



ふと、冷たい感触が無くなり、カクリと肩の力を抜く。そしてそのまま自分の身体を抱き締めた。




「大丈夫か?」

「だっ、だいっじょうぶっですっ……」

「……全然そんな風には見受けられないが」

「大丈夫……です。ありがとうございました」

「あ、おい……」




彼女は震えを抑え込みながらお礼を言うと、そそくさと立ち去ろうとする。

男はそんな彼女に手を伸ばし、その華奢な腕を掴んだ。




「イヤッ!」




彼女はさっきの感触を思い出し、バッとその手を振りほどく。しかし、その無礼さに気づき怯え出す。




「ご、ごめんなさい……」

「いや、今のは俺が悪かった。謝る。もう触らない。しかし、ひとりで歩くのは危険だ。俺が護衛しよう」

「……いいんですか?」

「俺はそのためにここに来たようなもんだからな」

「ありがとうございます……」

「笑っていた方が可愛いな」

「は、はい!?」

「変な意味合いはないから安心しろ。なぜか踊っているときのきみの表情は、死んでいると思ってな。身体は踊っているのに心は踊っていない。そんな感じだ」

「……鋭いんですね」

「仕事柄、人をそう言う風に見てしまうんだ」




男はそう言うと、肩を竦めて見せた。彼女はそんな男に安堵する。




(悪い人ではないみたい)




彼女が歩き出したため、男は横に並んで歩き出す。





「行き先は?」

「宿です。近くに馬屋があって、赤い屋根の建物です」

「ほう。俺と同じところだ、奇遇だな。てっきり踊り子のテントに泊まっていると思っていたが」

「いえ、みんなバラバラに宿をとっているんです。人拐いに会った場合、固まっていては危険ですから」

「なるほどな。踊り子は狙われ易い。よく考えたもんだ」

「しかし、タイミングを逃せばその街に置いて行かれてしまうんです。もう何人かはそんな目に会っています」

「厳しいな」

「はい。団体行動に力を入れていますから」




彼女の友達も、ひとりその目に会ったらしい。それはこの街に来る前の話だ。


二人は目的地に着き力を抜く。




「あの……あなたは入らないんですか?」

「実は、俺は井戸に用があってな。飲み水を汲んで来なくてはならない」

「それなら、今じゃなくても……」

「今行くんだ。奴等を少しでも減らすためにな。それに人を探している。その人も探さないければならない。きみはゆっくり休んだ方がいい。その足のためにもな」

「あっ……」




男は闇夜に溶け込むようにして去って行った。彼女は宿の入り口で立ち尽くす。

なんとも不思議な男だ。潔いと言った方が正しい。

律儀なのかそうでないのかわからない。



彼女はしばらく男の消えて行った方向を見つめていたけれど、なんとなく闇が動いたような気がして急いで宿に入った。



また、あの感触を思い出す。風呂に入り掴まれたところを念入りに洗う。

けれど、あの感触はまだ残っていて今日は眠れそうにない。



彼女は布団に潜り込み、頭の上まで引き上げる。




(怖い怖い怖い怖い……)




恐怖と戦う彼女。布団の中のはずなのに、寒くて仕方ない。

しかし、あの男を思い出した瞬間、震えが止まった。安らぎさえ感じる。




(……温かい)




彼女は心が鎮まっていくのを覚えた。自然とぎゅっと閉じた瞼から力が抜けていく。



(また、会えるかな?)




そんな淡い期待を胸に抱きながら、彼女は浅い眠りへと落ちて行った。