「雪……」



シーナはぽつりと呟いた。

目の前を落ちていく真っ白な軽い物に手のひらを広げると、すぐに溶けて小さな水になっていく。

はあー……と息を吐けば、たちまち白い靄(もや)となり星空に溶けていった。




「すげー。星と木しか見当たらねぇな」

「そうですね……空気のきれいなところの雪は真っ白だと聞いていましたが、これ程とは思いませんでした」

「行くぞ」




皆が雪に見とれていると、レンがすたすたと歩いて行ってしまった。

足の動きに合わせ、キュッキュッと新雪を踏む音が微かに聞こえてくる。


シーナはサラは寒くないのだろうか、と振り返ると、いつの間にか毛布を背中に掛けられていた。

レンが知らぬ間に掛けたようだ。


大きな足跡を追って、3人も進む。


しかし、なんて幻想的なのだろうか。

空は満天の星空。星でできた川が山と山の間に橋を掛けている。

山脈にぐるりと囲まれたこの場所は、外界とは隔たれているようで神聖に感じる。

木は細くて高く、霜が付いているのか銀色に塗装されたように輝いていた。


銀色の木が林立している隙間を縫って歩き進める。

ふと、前を歩いていたレンが立ち止まる。

その動きに自然と身体がピタッと止まる3人。



「どうし……」



シーナが声をかけようとすると、レンが小さく片手を挙げた。静かにするようにという合図だ。


ゆっくりと空いていた間隔を詰め、レンの前方を覗き見る。

そこには、黒くて大きな動物……熊がいた。


熊は食事中だった。大きな鹿の腹にかぶりついている。

その生々しさに息が詰まるシーナ。補食シーン等見たことが無かったのだ。


レンは未だに動かない。サラが襲われないように微動だにせず、刺激を与えないようにしている。

熊はお腹いっぱいになったのか、しばらく咀嚼していたものの、すぐにどこかへとのそりのそりと歩いて行った。


完全に熊の気配が去った後、どこからともなく溜め息が漏れる。



「熊って冬眠しますよね?」

「恐らく、お腹がどうしても空いて巣穴から出て来たんだと思います。もしかしたら雌で、子育ての最中なのかもしれません」

「子育てか……熊もたいへんなんだな」

「また熊が戻って来る前に急ぐぞ」



赤くなっている鹿の死体を横目に、また歩き出す。

ここは山奥なため、野性動物がうろうろとしていてもなんら不思議ではない。

げんに、キツツキが木をつついているのかトトトトトト……とアップテンポな音がどこからか聞こえてくる。


そして、レンの足跡から顔を出しているのは木の実だ。リスか何かの動物が埋めておいたのだろう。

過酷なこの環境でもたくましく生きているのが窺える。



「……見えて来たぞ」



レンが前方を指で示した。そこには、尖った建物がぽつんと佇んでいた。

灰色のその建物は、ちょうど月を貫く様に聳(そび)え立っている。



「あれが……ブランチの本部なんですね」

「あそこの麓には俺がいた施設がある。だが、高い城壁があってそれを見ることはできないが」

「しっかし、こんなところまでやって来る依頼人はいるのか?支所のブランチに行けばこんな苦労はしなくて済むだろうに」

「ここまで来る依頼人のほとんどは、貴族や王族関係だ。護衛が主な依頼だが、暗殺をするように頼まれることもある」

「暗殺?そんな物騒なことも受け持つのか?」

「時と場合によるがな。明らかにターゲットの方が悪い場合は仕方なく受ける。報酬が高いせいもあるが」

「金、な。王族ならさぞかし高値だろーな」




ぶらぶらと速度を落とし歩く。目的地が近いため、急ぐ必要はないだろうと肩の荷が降りたのだ。

雪の上は歩きづらいということもある。




「なあ、飯どうする?腹へったんだけど」

「言われてみればなんだかすいてきましたね。ここら辺で夕飯にしますか?」




ロイも賛同したとき、ぐぅ~……と小さな音が聞こえて来た。

一斉に振り返る。


そこにはお腹を手で押さえ、顔を赤くして俯いている女性がいた。銀髪がぱらぱらと下に向かって垂れている。




「……飯にするか」



レンが決定させると、またしてもぐぅ~……と鳴った。いたたまれなくなったのか、顔を両手で隠し、後ろを向かれてしまった。

3人はバレないように忍び笑いをし、おもむろに荷物を下ろし始めた。


……ひとりだけ、堪えられずに腹を抱えて静かに爆笑していたが。







「ふぃー。あったまるー」

「生姜の粉末を入れてみたんです」

「大正解だな。ぽかぽかしてくるぜ」

「熱っ……」

「火傷するぞ。もっと冷まさせてから飲め」

「ふうー……ふうー……美味しい!」




ひとときの休息。歩きっぱなしで身体にガタが来ていたようで、座るのにも一苦労した。

そう言えば、サラのご飯はどうなっているのだろうときょろきょろと探すシーナ。


見つけたと思ったら、何かをむしゃむしゃと食べているところだった。




「サラは何を食べているんでしょうか?」

「……非常食だ」

「非常食?」

「ん?……うわっ!罰当たりなもん食ってんな。祟られるぜ」

「ば、罰当たり!?」

「あの花が見えますか?」




ロイが示したのは、白い花。この寒さにも関わらず群生している。


……この普通の花がなぜ罰当たりなのだろうか。




「この花は、葬儀に使われる花なんです。どこにでも生息してるんですよ。花言葉は『安らかに』です」

「それで、罰当たりなんですね……」

「仕方ないと言えば仕方ないが、あまり食べさせたくはない」



パンをかじりながらぼそぼそと呟くレン。

今までの道中では草は至る所にあった。しかしここは極寒の地。標高も平地よりは高くなっているだろう。


その花は、雪に埋もれても大丈夫なように、茎が長くて太かった。

しっかりと根付いて地面へと根っこを浸透させる。

そこから、先程の動物の死体などが分解されて生まれた栄養分を吸い取っているのだ。




「さて、そろそろ行くか。あそこまで行けば、ちゃんとした部屋に泊まれる」

「やっと風呂に入れるー……」

「意外と綺麗好きなんですね、ギルさんは」

「意外と、は余計だ!」

「洋服もしっかり形を整えて収納されていましたし」

「……あ?そんなのいつ……あ、出発前のことを言ってんのか?んな昔のことほじくり返すんじゃねーよ」

「昔、か……確かにそんな風に感じるが、実際のところはまだ数日しか経っていない」




出発する前の自分たちは、ただ毎日を過ごしていた。

踊り子として、盗賊として、手品師として。

相容れない人間が、こうして旅をしていることは不思議な感じがする。


近くで過ごしていた者が接触し仲間になるという確率は低い。しかし、こうして共に歩き同じ物を食べている様は運命さえ感じる。



どうして、この4人は出逢ったのだろうか……と。


必然か、偶然か、はたまた神様の悪戯か。


どれにせよ、一度絡まった繋がりはそう易々とはほどけない。









「……着いたな」



目の前に聳え立つのは大きな城壁と門。確かに、これでは中を窺うことはできなさそうだ。

レンが門の近くに寄ると、声を張り上げた。



「4つ星ランク、レン。ただいま帰還した。用件は仲間の容認」



しばらくして、門が人ひとり分が通れる程開かれた。ゴゴゴ……と雪が削れる音が聞こえる。



「行くぞ」



シーナはその様をぽかんとしながら眺めていたが、慌てて皆の跡を追う。サラも通りきったところで、またゴゴゴ……と門は閉ざされた。



これから、ブランチの本部に潜入する。



そのことが頭に浮かび、緊張してきたシーナ。彼女だけではないらしく、自然と身なりを整え始めた一同。




「髪切っといて良かったぜ……」



こそっと漏れたその一言で、本人以外がぷっと噴いた。