「へっしゅっ!」

「大丈夫ですか?」

「少し寒気がしますけど、平気です」

「……しっかし、長いトンネルだな」

「山の端から端の長さだからな」




シーナは腕を手で擦りながらくしゃみをした。

皆が言う通り、長いトンネル。時間的には半分を越したと思われるが、定かではない。

前も後ろも闇に包まれており、ランプの灯火(ともしび)だけが頼りだ。


ずっと歩き続けているが、ゴールが見えないという不安が居座る。




「……もしかして、影の世界だったりしませんよね?」

「それはありえねぇだろロイ。もし俺たちが入ってたら、奴等が襲って来るだろうが」

「試しに鈴を鳴らしてみるか?」

「そうですね……鳴らしてみてくださいよ」




レンは自分の鈴を取り出すと、左右に揺らす。




「……変化なし、か?」

「見た目じゃわかりづれぇけどな。変わってないんじゃね?」

「そうですね……ここではまだ現れていないと言ってましたし、何事も起こらないはずですよね」

「はず、か……」



レンの呟きに含みがあり、一瞬ひやっとしたロイはなんとなく後ろを振り返った。


……そこで愕然とする。



「皆さん!シーナさんは?」

「「えっ?」」



サラの歩く足音は聞こえていた。それはそうだ、サラは後ろを歩いていたのだから。

しかし、シーナはどうだ?

突然いなくなっても、気づきにくい。



「まさか……向こうに行ったのか?」

「引きずり込まれた?」

「もしかしたら、無意識に行ってしまったのかもしれません。引きずり込まれたのなら声を出すはずです」

「……マジかよ。ヤバくね?」

「はあ……世話がやける」








ロイがシーナの失踪に気づいた頃、彼女自身はぺたんと地面に座っていた。



「あれ?」



シーナはその異様さに思わず疑問を口にする。


(確かサラの背中に乗ってたはず……それに、なんで真っ白なの?)



恐らくそこは、トンネル内。しかし、前も後ろも真っ白なのだ。


くしゃみをした瞬間、ここにやってきてしまったシーナ。

自分の置かれた状況を把握出来ていないでいると、後ろからペタン……ペタン……と変な音が聞こえて来た。


シーナは恐る恐る振り返った。



そこには……真っ黒などろどろとした変な物体。

かろうじてひれっぽい腕があり、それが出す音が、ペタンという音だった。


ずりずりとこちらに近づいて来る。


いつ現れたのかもわからないその物体に声にならない悲鳴を上げる。

そして、一目散に前を目指して走り出した。


しかし、その物体は同じスピードで追いかけてくる。どんどんと小さくなっていくが、シーナはひとつ忘れていた。

それは、風邪をひいていたということ。


たんが喉に絡まり走りづらい。飲み込みながら走るも、上手く呼吸ができない。

少しスピードが落ちていると、あの物体は速度を上げた。どうやらこうなるときを待っていたらしい。




(どうしよう……一本道だし、どこまで続いているかわからないし……)



走り続けていると、ふと、鈴の音が聞こえたような気がした。

微かだが……はっきりと。

その音は、前方の壁から聞こえてきた。もしかしたら、空間と空間の壁には薄いところがあるのかもしれない。


ここだったはず……とその壁に向かってドンドンと手を打つ。

誰でも良い、気づいてほしい。早くしなければ追い付かれてしまう。

シーナは必死になって手を打ち付ける。喉が完全に掠れてしまい、声は出ない。


希望を捨てず、諦めずに打ち続けるシーナ。しかし、ペタンという音がすぐ近くで聞こえてゾッとした。

首がカクカクと音が出そうな程にぎこちなく動かすと、その物体があと数メートルのところまで迫って来ていた。

今まで感じていなかった、鼻の奥をさすツンとした刺激臭で息が詰まる。




「だ……れか……」



少し回復してきた声をか細く出す。




「レン……さん……」



疲れた腕をもう一度振ろうとしたとき、パシッと壁の向こう側から伸びて来た手がシーナの腕を掴む。

そして、あっと思う間もなく引っぱられた。




白い空間から黒い空間へと様変わりし、ドサッと誰かの身体にぶつかった。



「シーナ、いったいどこをふらついていたんだ?」



聞きたかった声が耳に届き、じわりと涙が浮かぶ。



「それにしても、レンの第六感は嘘じゃねーみてーだな」

「そのようですね」



気づけば、レンの身体の後ろ側に2人がいた。急に恥ずかしくなりパッと身体を離す。



「で、どこに行っていたんだ?」




レンが眉間にしわを寄せて問い詰めて来た。

ただならぬ雰囲気を感じ、早口に言う。



「えっと……真っ白な空間で、トンネルみたいで……真っ黒なドロドロとした変なのに追い掛けられて……それで、鈴の音が聞こえて呼び掛けていたらレンさんに腕を引っぱられました」

「真っ白だぁ?もし影の世界だったら黒だろ普通」

「いえ……聞いたことがあります。魔物の中にも階級があって、上級御用達の空間もあると。ですが、並大抵の適応者は侵入することができないと聞きました」

「とすると……シーナはかなりの力の持ち主みてーだな」

「そうなります」

「その空間が御用達かどうかはわからないが、どうしてそんなところに行ってしまったんだ」



まだ険しい顔をしているレンに怯み、また少し泣きそうになるシーナ。

怒られているわけではないが、怒っていることは窺える。



「く、くしゃみをしたら……いつの間にか」

「くしゃみ?」

「はい……」

「原因はともあれ、無事だったんだから良いじゃねぇかよ。許してやれよ。シーナだって怖かったはずだからな……まあ、今のレンの方が怖いかも知れねぇが」




図星を言い当てられギクッとするシーナ。確かに、レンの方が怖いかもしれない……


レンはそんな様子を見て、溜め息をつくとふいっと顔を反らした。




「さっさと行くぞ。シーナも歩くんだ。また迷ったら洒落にならない」

「はい……」



怖いオーラは消えたが、まだビクビクと様子を見るシーナ。

黙ってその後をついていく。


ギルシードとロイもやれやれ、と思いながら続いた。サラもひとりでについていく。



「レンの直感は鋭過ぎるな」

「そうですね。いきなり走って立ち止まって腕を壁に向けたんですから。でもその腕が壁をすり抜けたのには驚きました」

「まったく……シーナも鈴を使えばいいのに。すっかりその存在を忘れてるみてーだしな」

「使い方を教えた方が良さそうですね」




ぼそぼそとそんな事を話している2人。

前の2人には聞こえていないようだが、ここにトリカがいれば丸聞こえなのかもしれない、とロイは思った。




さらに歩くこと数時間。無言の時間が過ぎていく。それぞれに疲れが見え始めたころ、ゴールも見え始めた。

見えた、というよりは、感じた、といったほうが正しい。

さらさらと撫でる風、冷たい外気。いきなりひやっとした空気が肺に入り、ひとりがくしゃみをした。



「そろそろだな」

「やっと出られそうですね……っくしゅ」

「その風邪が悪化しなきゃいいがな」

「トンネルの中は意外と温かいですからね」



もう少し……もう少し……と気持ちが皆の歩くスピードを加速させる。

サラもこの暗闇から出られるという解放感が身体を急き立て小走りになる。



そして、我慢できなくなり全員が走り出した数分後、目の前に真っ白な雪がちらついているのが見えた。