「おはよう……ございます」

「あら、シーナちゃんおはよ……って、ひとりで大丈夫?歩けるの?」

「はい。少しクセで足を引きずっちゃいますけど、階段も無事降りられました。首も寝返りを難なくできたので心配ないと思います。お手数をおかけしました」

「あらあら、気にしなくていいのよ。どこかの誰かさんと違って、おとなしくしていてくれたから」

「……それは俺ですか?おばさん」

「あら、どうかしらねー」




欠伸をしながら降りて来たレンには思わせ振りな言葉を放った奥さん。レンは不満そうな顔をしている。

シーナは振り返ってレンを見上げた途端、噴き出した。



「ぷっ……レンさん寝癖がスゴすぎです……うふふふふ」

「あ?ああ、クセっ毛なんだ。いつものことだ」

「でも、いい味出てますね。はね具合がレンさんとマッチしてますよ」

「勘弁してくれ……これでも気にしているんだ」

「え?うふふふふ……」




シーナにクスクスと笑わればつの悪そうな顔をレンがしていると、ロイも降りて来た。



「わあ、さすがロイさん。髪が綺麗にセットされてます」

「はい?僕は何も手をつけていませんが」

「え!誰かさんとは大違いですね」

「……俺のことだろ?」

「どうですかねー」

「……うふふ、シーナちゃんもやるようになったわね」

「あ、わたし料理手伝いますよ。得意なんです」

「そうなの?それならベーコンエッグ作ってくれないかしら」

「はい。わかりました!」





レンを完全に無視して厨房へと引っ込んで行ったシーナ。レンはその後ろ姿をただ呆然と眺めていた。

しかし、表情を戻す。




「取り敢えず、自我を無くすようなことにはなりそうにないな」

「そうですね。ひとまずは、ですが」

「まあ、な……ちっ。寝癖直しに行って来るか」





余程気にしているのか、そそくさと洗面所へ向かうため階段を昇って行ったレン。

そんな彼を眺めていたロイだが、一番気になる男が降りて来ないため内心焦れて仕方なかった。



(早く降りて来ないと寝坊ですよ)



起こしに行こうかとも思ったが、カウンターに座ってぼーっと階段を眺めることにした。

まだ上に人が多すぎるからバレたら威力半減になると思って、おとなしくそのときを待つことにしたのだ。


散髪したロイ自身も、その変貌に驚いた。前髪を程よく整え襟足を短くしただけで、あの変わりよう。

ドッキリを成功させたいがために、平然を装って椅子に座っているロイ。

しかし、その心の内はまだかまだかと踊っていた。




「いただきまーす」



とうとう朝食になってしまった。しかし、まだあの男は降りて来ない。余程のお寝坊さんだ。



「あの、どうでしょうか……ベーコンエッグ……」

「美味しいわよ!黄身の半熟加減がちょうど良くて。料理は得意なんでしょう!自信持ちなさい」

「いやー、デキる女の子はモテるぞ?いいなーこんな可愛い嫁が欲しい」

「ここにいますけど何か?」

「確かにおまえもできる。だがなぁ……裁縫が致命的にできないってのはちょっ「なんてことを暴露しちゃうのよ!口が軽いんだから!」

「……否定しろよそこは。おお、そうだ。思い出した。シーナちゃん、手を出してくれ」

「……あら……って、軽く流さないの!」

「ええっと……こうですか?」

「そうそう。ほい、鈴だ。団長が餞別だとよ。きみには必要な者だ。形見だと思って大事にな」

「……団長。こんなもの持ってたんですね」

「はよーっす……あれ、なんかしんみりしてるっすね」

「「「誰?」」」




レン同様、欠伸をしながら降りて来たその男。見事に何も知らない人のその言葉が重なった。

ロイ意外の頭の上にはハテナマークが見事に浮かんでいる。

それが見えた気がして、ロイは忍び笑いをした。




「え?俺っすよ、ギルシードっす」

「嘘!?ギルちゃん?」

「ギルちゃ……ええ、まあ。わからなかったっすか?」

「別人よぉ……と言うより、随分と男前になったわねぇ」

「僕が昨夜タダで散髪をしてあげたんですよ。そうしたら、この変わりようなので僕も驚きました」




本人はそう感じていないのかもしれないが、髪型でこうも見た目に差が出るものなのか、と恐ろしくなる周り。

絶対に今までの髪型で損をしていたに違いない
、と誰もが思った。




「んー……自分じゃわからないっすね。こっちの方がいいっすか?」

「断然、こっちね。ま、まあ取り敢えずギルちゃんも食べましょう」

「はい。いただきまーす」





違和感があり、ギルシードの目を盗んで目配せをする皆。そして、もう1度目を向ける。



「ん?」



と、ギルシードが顔を上げたため、いそいそと皆は視線を反らした。本人が気にしていないなら、もういいか、といったムードが流れ、自然と会話が生まれる。




「マスター、そう言えば報酬は?」

「あ……忘れてたわ、すまんすまん」

「いや、そこ重要なんだが。昨日高そうな馬車が歩いているときに目に入ったからな、たぶんご令嬢の誰かだろうと思ったんだ」

「くそーやり過ごせると思ったんだけどよ。食べ終わったらやるよ。おまえさんたちにもな。気づかせてくれたお礼だとよ」

「やりー!気前いいなあいつら」

「受け取ってもいいんでしょうか?」

「気持ちだけ、という訳にもいかないだろ?ありがたく受け取ってくれ」

「じゃあ……ありがとうございます」





奥さんとシーナが後片付けをしに厨房に入ると、すかさずマスターが袋を持って来た。

しかし、小銭のすれる音がしない。



「……気づいたか?そうだろうそうだろう。中は全部札だ。重くなくて便利だろう、と袋に詰め込んでくれたんだ」

「さ、札!袋の中が全部……」

「お金の使い方には気を付けるんですよ。また賭けに使ってはいけませんからね」

「わーってるよ……」

「んじゃ、それしまってこい。女は金にうるせーからなー」

「ほいほい……」




3人は急いで階段を昇って行った。その途端、水道が止められるキュッという音が響く。

間一髪、バレずに済んだ。




そして、ドタドタと降りて来る複数の足音。どうやら荷物を早々に纏めて降りて来たようだ。





「おい、積み荷はそんなに乗せられないぞ。サラが死んでしまう」

「なら、リュックに小分けするしかねーな」

「いいえ、荷物は必要最低限の物にしましょう。お金には困らないんですから」

「そうか。それならこれとー、これとー、これもいらねぇな」

「……随分と服が多いな」

「わかってないねーレンさんは。盗賊が同じような服を着て出歩くと思うか?覚えられたら終わりなんだからさ」

「……俺にはバレたがな」

「それはこれー、今は今ー。もうこんなに服はいらねぇからな」

「……」




次々と服が出され、最終的には何も残らないのではないかというぐらい徐々に小さくなっていくバッグ。

そして、残されたのはお金とランプとマッチなど、日用品だけだった。




「こう見ると、結構服あったなー、いや、スッキリした。これで泥沼生活ともオサラバだぜ」

「路頭に迷えばまた泥沼ですけど」

「なんか言ったか?」

「いえ、別に」




2人がたわいもない話をしていると、いつの間にか出掛けていたレンが戻って来た。

外には黒い馬の胴体が窺える。




「外にいるのがサラだ」

「サラ?雌か?」

「そうだが」

「デカくね!?雄の間違えじゃねぇのか?」

「ああ、コイツは田舎育ちだからな。のびのびと育てられたんだろうな」

「馬にそんなの関係ねぇだろ!」




ブルルル……と嘶きが僅かに聞こえる。

その声に反応して、シーナが肩をびくつかせた。あまり覚えていないとはいえ、あのときの記憶が甦る。

馬にどつかれたときを思い出してしまい、動機が激しくなった。


その異変に気づいたレンは、シーナの顔を覗く。




「大丈夫だ。性格は温厚だから暴れたりしない。それにシーナを体当たりしたのは雄だ」

「でも、大きいって……」

「大きいだけが強いの基準にはならない。だから安心するんだ。見てみるか?」

「……」



シーナは無言で頷いた。最初から拒絶していては希望は見えない。

胸を押さえながら外に出る。




「あっ……」




見覚えがあると思って声を上げる。

サラがシーナを見つめる瞳は、ティーナがシーナを見つめる瞳と同じだと思ったからだ。

優しい瞳。温かい瞳。




「飼い主に似るって言うもんね……」

「ん?」

「いえ、なんでもありません。この子は大丈夫みたいです。逆に可愛いって思いました」

「平気だろ?シーナはサラに乗るんだ」

「え?わたしだけですか?」

「男は歩かないと鍛えられない」

「そうですね……お言葉に甘えます」




レンの言葉には少し無理があったな、と居酒屋の中からこっそりとその会話を聞いていた誰もが思った。

素直に、シーナが心配なんだ、と言えばいいものを。

シーナの足はまだ完治していないから、無理はさせたくない、と。


そこが不器用だな、と奥さんはうんうんと頷いた。ついでに、鈍感だと気づいて欲しいものだ、と願わずにはいられなかった。



「さーて、そろそろ出発しろよー。どこで誰に見られているかわからないんだからな。付き纏われるぞ」

「それもそうだな」




マスターはオブラートに包んで諭したが、恐らく魔物のことを言ったのだ、とレンは気づいた。

音沙汰無かったが、まだシーナは狙われているはず。それならまだ朝方だとはいえ、油断は禁物だ。




「鈴は持ってるかい?シーナちゃん」

「はい。ちゃんとあります」



サラに乗ったシーナに話しかけたマスター。シーナは腰に提げている鈴を鳴らした。



「紹介状は?」

「もちろんありますよ」

「無くしたらたいへんっすもんね。だからロイに預けました。その方が安全だと思って」

「情けないヤツだなギルシードは。まあ、得策だろうな。ロイ、頼んだぞ」

「はい。おまかせください」




そして、そのときが来た。旅へと発つときが。

奥さんはサラに乗っているシーナの手を取ると、ぎゅっと握った。

そして、潤んだ瞳で見上げる。



「おばさん……そんな顔しないでくださいよ。永遠の別れじゃないんですから。また来ますよ」

「わかってるんだけどねぇ……わかってるんだけど……ずびっ……あらやだ、鼻水が……」

「あはは、笑ってくださいよ。じゃないとわたしまで……ずびっ……鼻水が……」

「おいおい、何しんみりさせてんだよ。ほら、行きづらいだろうが」

「うう……」




渋々シーナの手を名残惜しそうに離した奥さん。シーナもしばらく腕をだらんとさせていたが、手綱をぎゅっと握りしめる。

それは、出発の合図となった。


レンが歩き始めると、ぞろぞろとそれに続く。




「おーい!今度会うときは、5つ星ランクになってるんだぞー!」



後ろからマスターの大声が聞こえた。

それに腕を挙げるだけで答えたレン。それだけで、十分だし、それ以上は必要なかった。


レンはさらに、親指だけを立てて、グーとした。




「気障な野郎だな。相変わらず。前回もアレやってなかったか?」

「本人は忘れてるのよ。でも、変わってないってことなんだから、いいじゃない。優しい心をまだ持ち合わせられているんだから」

「……それもそうだ。俺たちも戻るか。今夜はステーキ食いてぇなー」

「まだ朝じゃないのよ」

「いいんだよ。アイツらにとっては、初めての夜なんだ。パアーっと祝おうぜ」

「はいはい」




……道は続く、どこまでも。

長い長い旅路。しかし、それは巡りめぐって……



元の地点に戻るのだろう。