「そうですか……シーナが起きましたか」

「身体は自由に動かせないみたいですなんですけどねぇ」

「……それでは、踊れませんね」

「では、どうする気なんだ?今までみたいに踊れないかもしれねーぞ?」

「そうですよね……心苦しいですが、こちらに置いて行きます」

「それで、いいのか?」

「はい。マスターの様な人がいるなら文句はありませんよ」

「お世辞は嬉しいが、聞いたのはそのことじゃねぇ。あなたの心はいいのかって聞いたんだ」

「なかなか痛いところを突きますね……平気と言えば嘘になりますが、シーナ自身のことを思うと、もっと嘘をつけなくなりますね……」

「つまり、身を切る想いで置いて行くだけであって、決して彼女に愛想をついたから、という理由でははいと?」

「はい。まさに後ろ髪を引かれる想いです。赤ん坊の頃から面倒を見ていましたから」

「……赤ん坊だと?ならば、彼女はどこで産まれ、親が誰なのかさえわからないのか?」




今までマスターと奥さん、そして訪れたシーナの団長の会話を黙って聞いていた男共の部外者。

しかし、予想していた通りの情報が耳に入り、口を挟んだレン。

嫌な顔ひとつせずに答える団長。




「はい。拾ったときはまだへその緒が付いていたのです。ブルブルと震え、泣くことさえできないようでした」

「そうだったのか……」

「ええ。そして、わたしは彼女の性質にすでに気づいていた。適応者だということを」

「それなら、なぜ教えなかったんだ」

「その方があの子のためになると思ったからです。自分が誰なのか明確にわからない時にさらに不可解なことを言えば、混乱するのは目に見えていました。それほど情緒不安定な時期が多かったんです」

「そうには見えなかったが……いや、そうか。なるほど」

「思い当たる節があるようですね。そして恐らく、感じていることは同じはず」

「俺は……踊っている時の表情が引っ掛かっていた。彼女にも言ったが、身体は踊っているが、心は踊っていないと……」

「……その通りです。踊っている時のシーナからは楽しさが伝わって来ない、静かな、綺麗すぎる踊りなのです。自分らしさがないと言った方が合っているかもしれません」




自分とはなんなのか、わからないというシーナ。その彼女が自分らしさを溢れ出させた踊りなど、踊れるはずもない。

教わった通りの踊りしか踊れないシーナ。彼女の踊りは綺麗で人目を引くが、感情が揺さぶられる感覚はしない。

だからシーナはそんなに踊らせてもらえないのだ。踊り続けさせると、いずれ自分を忘れてしまうのではないかという危うさ。

そこを団長は見抜いてしまい、シーナにはあまり踊って欲しくないのだそうだ。




「人の目を気にして踊っている時の彼女は、見られることに生き甲斐があり、疎いがある。自分を出すことに抵抗がある。

なんでも相談するように、と教えたわたしにさえ秘密を作るようになった。そのことは寂しいことですが、逆に嬉しくもあるんです。自分の意志で、物事を客観的に捉えることができるようになったんですから」

「それは、ただ単にあなたに心配をかけたくないからではないのか?」

「わたしの心配は、彼女の不安な気持ちの裏合わせ。つまり、不安になることを覚えたということです。恐らく、昔は不安など無かったと思うんです。ただ、踊るだけ。踊りをすることに不安になったことは無いのではないか、とわたしは確信しています」

「彼女は、そんなにも不安定だったのか……その様には見受けられなかったが」

「ふふふ……それは恐らく、あなただからですよ」

「俺?」

「そうです。昨日から隈ができていたものの、表情は明るかった。わたしはすぐに気づきました。そして、今日の出来事」




先程の事件に、レンは運良くそこに居合わせることができた。実は、暴走した馬は、レンも愛馬のサラを預けているところと同じ馬屋にいる馬だ。

長い間狭いところに閉じ込めているとストレスが堪るため、外に出して散歩をさせることになっている。

レンも暇だったため、散歩に付き添っていたのだ。そこに、あの事件。運が悪いのだか良いのかわからないが、少なくともレンという大きな存在が居なければ、今頃シーナはどうなっていたことか……





「知らない男がシーナを迷わず抱え走り去った、とその場にいた踊り子から連絡を受けました。彼女がその男に話しかけたところ、知り合いだ、と言ったそうですね」

「まあ、マスターから聞いたと思うが、魔物から彼女を護ったのは俺だ」

「そして、彼女はあなたを意識し始めた。それはあの子にとって良い進歩です。そこで、あなたに頼み事があります」




団長は立ち上がると、レンに向かって頭を下げた。周りはハッと反応したが、レンは眉ひとつ動かさずに見据える。




「あの子に、世界を見せてあげてください。あなたは旅をしていると聞きました。あの子も連れて行き、自分らしさに磨きをかけてあげて欲しいのです」

「断ったら?」

「その時は、あの子をここに置いて行くだけです。言ったでしょう、わたしはあの子に踊って欲しくないと」

「それならば、それはあなたのエゴだ。彼女はそれを望んでいないはずだ」

「これも言いましたが、わたしの心配はシーナの不安です。ですが、シーナだけが不安なのではありません。わたしも不安なのです。心配なのです。

しかし、お互いにそれでは依存しすぎている。もし、本当のお別れが来たとき、あの子はどうなってしまうのか、考えたくもありません。悪い方向に進んでしまうと、わたしは断言できます。そうなる前に、手をうちたいのです」

「……俺が彼女に手を差し伸べればあなたは本望だと?」

「その通りです。実は、もう手はうってあります。わたしは決めました。本当は明日も滞在するつもりでしたが、今日の夜にここを発つと」

「……本気、ということだな」

「はい。もう決定事項です。今さら後戻りはしません。あの子の顔をもう一度見たいところですが、決心が揺らぎそうなので止めておきましょう。

では、彼女にお伝えください。あなたはクビになったと」

「……それをそのまま言うと思っているのか?」

「では、なんと?」

「……」

「あなた方を、信じています。マスター、これを渡していただけませんか?」

「……これは。どこで手に入れた?」

「わたしも適応者として、昔はブランチで働いていたんですよ。しかし、子供たちの現状を目の当たりにして、脱退したのです」

「……なるほど。必ず渡す」

「ありがとうございます。では、宜しくお伝えくださいね」





団長は、去って行った。残されたのは、静寂と、伝言と、鈴。

伝言を聞いた時、彼女はどう変わってしまうのだろうか。善し悪しさえも予想できない。




(引き受けた覚えはないぞ)




と、レンは心の中で吐き捨てたが、その言葉に対して特に意味はない。




最後に見せた団長の横顔は、籠から解き放たれた鳥の様に清々しさを感じた、とレンは何度も思い浮かべるのであった。