「では、そちらはお願いします」

「おう。そっちもレンのやつを……頼む」

「はい。お任せください。必ず取り戻しますから」




それから数刻たち、夜となった。綺麗な満月が浮かんでいる。


ここは本部の城壁の外。雪は降っておらず、満天の星空が頭上を覆う。闇夜に浮かぶ星たちはただ、キラキラと瞬いているだけだった。

約300人を従えたマスターは大きな斧を携えて凛と佇んでいる。その目の前には黒いコートに身を包み眼鏡を外したロイが立っていた。邪魔だからと外したのだ。

もともと、親に似た素性を隠すための道具だった眼鏡。それはもう必要ない。

その隣には黒いロープを着ているギルシード。身軽な格好……つまり、現役時代の服装に戻っていた。忍び込むときはいつもこの格好だったとか。

少し離れたところに寒そうに突っ立っているのはシーナ。両手に息を吹き掛けている。防寒着は万全だが手袋をしては感覚が鈍るのでつけていない。


実はシーナは、刀の名手。細長い太刀を左腰にある鞘に納めている。愛刀は必要ないと今まで施設に預けていたのだが、この日のために奥から引っ張り出して手入れをしておいた。

そのことを知ったロイとギルシードはビックリ。柔軟で身軽な女性が扱う代物ではないし物騒である。




「さて、そろそろ行きますか」

「そうだな。これ以上冷え込んで来るってのが癪に触るが仕方ない。相手は気温なんて関係ないんだろ?」

「そうみたいです。身体が寒くて鈍ると思いますが頑張ってください」

「おうよ。そっちもな」




マスターがくるりと振り返ると、待機していた同胞たちがこくりと頷いて見せる。

それを待っていたかのように、雪の上に一体の魔物が現れた。よう、とマスターが話しかけたことから、彼の神類なのだろう。


マスターもまた頷くと、その姿はふっと消えていった。影の世界に行ったのだ。それを追うように次々と同胞たちの姿も消えて行く。

そして、全員がいなくなったのを見届けてからロイたちも出発した。


……影の世界についた途端、異様な空気が3人を襲った。




「うえ……すげー毒気だぜ。胸焼けしそー」

「空の色が……」

「本当に毒の色みたいです……」




シーナが毒の色、と言った空はまさに紫色。しかもかなり濃い。普段はもっと薄いのだが魔物が集結していることによってその色が増したのだろう。

心なしか、満月の色も赤く見える。不吉な色だ。




「これからここは戦場になります。作戦が成功すれば、もっと毒気が酷くなるでしょうね」

「早くレンを探さねぇとな」

「彼が案内してくれるそうです」




ロイが手を向けると、いつの間にか3体の魔物とちびレンがいた。ちびレンの肩にはティーナがちょこんと乗っている。

魔物はマーキュリー、マーズ、サターンだろう。




「あ、ティーナだ。久し振り!」




シーナは呑気に声をかけた。ティーナはチュー!と一声鳴いて答える。束の間の癒しだ。

ちびレンは気にせずある方向を指差す。恐らくその方向にレンがいるのだろう。違う方の手には剣が握られていた。




「行きましょう。できるだけ早く奪還しなければいけませんし」

「おうよ!」

「……待っててくださいレンさん。今助けに行きますからね」




ある意味レンは人質である。下手に手を出せば彼の命も危うい。しかし相手は本気で闘いを挑むだろう。

加減を間違えれば共倒れの危険性もある。それだけは避けたい。




ちびレンの跡を追って一同は走る。上空をふと見上げると、黒い靄(もや)が見えて来た。さらに寄っていくと、その正体が明らかになった。

それは、飛来する魔物の大群。その大きさは体験済みだ。




「そーいや、なんで飛んでるやつもいんだ?」

「ああ……自らに鳥を取り込んだからです」

「取り込んだ、ですか?」

「はい。特に猛禽類だそうですが……そちらの本能に洗脳されてしまって、助かる見込みはないそうです」




とにかく力が欲しかったため、野生の猛禽類を取り込んだ結果こうなってしまった。取り込む、とは、遺伝子を取り込むということ。翼、鋭い爪や嘴、卓越した視力。

それらが羨ましかったのか、後先考えずに取り込んだのだ。しかし、本能や習性が強すぎたのか考えることができなくなってしまった。

今は狩るだけの、この世に存在してはならない獰猛な生き物となってしまっているのである。




「可哀想なやつらだな」

「ええ。ですが敵は敵。空からの攻撃は厄介です」

「あいつらのせいで吹き飛ばされたしな」




あんにゃろー、とギルシードは舌打ちをした。思い出したくない思い出なのだ。


木の影に隠れながら飛翔している魔物の目から掻い潜って進む。気づかれていないのか、襲われることもなく無事その下を突破した。


すると、いきなりちびレンが立ち止まった。後ろの面々も立ち止まる。



「……衝突してますね」



耳をすませば聞こえる雄叫び、怒声、悲鳴。

前方では、同胞と『奴等』が戦っているのだ。



「どうする?」

「……道を少し逸らしましょう。お願いします」



ロイが目の前にいる小さな影の戦士に声をかけると、彼は少し考えるような格好をしてからまた走り出した。

それに従って走っていると、喧騒は遠ざかる。回り道をして安全なルートを辿っているのだ。少々戦いの状況を知りたい気もしたが、まだ始まったばかり。前線に立って加勢できないことが口惜しい。

集まった同胞の中には、施設の子供も混じっていた。もちろん、デュークやキリトも険しい表情でそこの輪に加わっていた。

まだ子供である彼らにこんな経験をさせてしまって申し訳なく思いつつ、期待もあった。彼らの活躍がきっと、勝敗に大きく関わってくるだろう。

対魔物のための戦士。それを育成するのが施設。魔物の脅威がなくなれば施設が存在する意味もなくなるし、そもそも適応者もうまれない。


ここで魔物を封印しておかなくては、後々厄介になるはずなのだ。

今日できっちりと方をつけ、因縁も断ち切る。それが適応者全員の使命。




「……いますね」

「ああ、いるな」

「やはり、連れもいるようですよ」




ピリッと肌をさした殺気。それは紛れもなく自分たちに向けられたものだ。向こうもこちらの存在に気づいている。

さらに身を縮めてサササッと素早く殺気のする方へと向かう。空気は濁るばかりだ。


そのうち、だんだんと草木の数が減っていることに気づいた。

……否、減っているのではない。枯れているのだ。足元には萎れて掠れた花々。樹木は朽ち果て水分がなくなったのかカラカラに細くなっている。

風に揺れて、枝についていた最後の枯れ葉が今、ひらひらとどこかへと飛んで行ってしまった。



「ひでぇ……毒気にやられてやがる」

「それほど、強い者を従えているということです。侮ってはいけませんよ」



魔物のせいで生き物が滅びてしまうのも、嘘ではないのかもしれない。

異世界からやってきた侵略者。異世界同士の空気が混じりあったとき、調和がうまれるか反発がうまれるかは未知数。


この場合、後者の可能性大だ。というより、確実に反発しあっている。その境目で起きることは、逆らえない濁流。その汚れた流れに流されていては生きられるものも生きられない。


適応者たちは今、その濁流に果敢に立ちはだかっている。さらに、その流れに逆らおうとしている。


汚い流れは、塞き止めなければ新たな被害をもたらす。




「はあ、はあ……」

「ちきしょ、息苦しいぜ……」

「喉が、痛いです……」



シーナは苦しそうに言うと、ゴホゴホッと数回咳をした。この毒気に晒された空気を身体が受け付けていない。

それはロイもギルシードも同じで、咳払いばかりしている。



「人間とは、実に不便だ」

「この声……」

「あそこかっ!」



耳に届いたのは懐かしい声。ギルシードが突っ走ってたどり着いた先は、だだっ広い草原。いや、荒れ地。もとは草原だったのだろうが、見事に植物はカピカピに干からびている。

その中央に佇んでいるのは、レンと、魔物が2体。



「随分とくたびれているみたいだな」

「誰のせいだと思ってやがる……」

「俺か?そうかもな」

「てめぇ……ふざけてんのか」



前方でクライモアを地面に突き刺し柄の上に手のひらを置いている男は、冷笑を浮かべながら鼻で笑った。

普段のレンからは想像もできないであろうその表情。鋭い視線。彼はまったくの別人なのだと頭に刻む。

でなければ、判断が鈍る。



「まあ、まずは……おまえたちの血が必要なんでな」



目の前にいた男が消えたと思ったら、後ろから聞こえた声。しかもすぐ後ろ。

シーナは振り返ったが、そこには誰もいなかった。

その直後、隣から聞こえた呻き声。




「ぐあ……」

「くそっ……見えなかった……」



片腕を押さえている仲間に視線を送れば……


地面に枯れた花を、真っ赤に染めている液体が滴っているのがシーナの青い瞳に映った。