久々の実家はなんだか新鮮だった。この何年かまともに帰省も出来なかったから、こんなに時間が出来ても落ち着かない。
何着も持っていたスーツも…必要なくなるんだ。まともに会話する事もなく辞めて……私の意志なのに、悲しい。光一さんには引き留められたけど、彼がそうしてくれるとは思えない。
午後一番に実家に着いてから、バタバタと片付けたりしてて、漸く落ち着いたのは四時間してからだった。暇を持て余した私は、両親に声を掛けて名駅へ気晴らしの買い物に出掛けた。久しぶりに衝動買いでもしようかな。

名駅周辺は自宅が一駅の距離だったせいかよく通ってたけど、大学に入ってからは会社のそばにキャンパスがあったから、そっちメインで来る機会も減っていた。
様変わりしたデパートや地下街をぶらつきながら目に留まるのはスーツや経済誌、仕事漬けだった事に苦笑いするしかなかった。
アクセサリーもワードローブのスーツに合うかを思わず考えて……。








【東雲】の表札の前に着いたのは五時過ぎ。深呼吸してインターフォンを鳴らした。

『はい』
「初音さんが勤めていた及川商事の者です」
『あら…ちょっとお待ち下さいね』

母親らしき壮年の女性が玄関を開けた。

「初音は出掛けておりますが、暫くしたら戻りますから」
「恐れ入ります…伺ったのは初音さんにもなんですが、ご両親にお話がありまして」

そう言うと、初音の父親も出て来た。

「秘書を務めて頂いておりました及川商事副社長の及川輝一と申します」
「副社長!?初音は副社長さんの秘書してたんですか!?」
「はい、とても優秀な第一秘書で…他の役員や取引先から羨ましがられるほどです」
「で…副社長さんがうちの娘に何の用が?」
「お見合いを考え直して頂けないでしょうか?」

驚く両親を後目に、俺と付き合いがあった、俺に釣り合わないと両親に紹介もしてもらえなかった、何も聞かされないまま辞表を社長に出した事を少々オーバーに話した。

「引継は済んだと言ってましたが…」
「秘書は二人おりまして。予定の管理などの情報は常に共有していますから、引継は必要ありません」
「ならうちの初音じゃなくてもいいんじゃないですか?」

さすが初音の親父さん…ってか、感心してる場合じゃねぇんだよ、俺!

「初音さんの事は…私自身、結婚を考えていました。ご両親とは約束の期日があるのは以前聞いていましたが…こんな形で別れる事に納得がいかず…押し掛けるような真似をしてしまいました」
「初音からお別れは?」
「このところ、第二秘書の育成に力をいれてくれていましたので、そんな話は全く。まさかこの為だと思いもしませんから…」
「予兆はあったんじゃありませんか?」
「お父さんっ」
「うちの娘がそんな事するとは思えん」
「…そうかもしれません…仕事を理由にはしたくありませんが、私はこの年ですし…若輩者として見られるばかりですので、取引先の信頼を得る努力に力を注ぎすぎたのかもしれません…」

初音の父親も定年で退くまでは板金屋の管理職だったはず…。
案の定、感慨深げに頷いた。

「初音さんはそんな私を四年以上、よく支えてくれていましたし、私もそれに応えて来たつもりです…ですが……私では足りなかったようですね」
「初音にそれは…」
「いえ…言い訳になるような事を彼女には出来ません。私は一人の男として、初音さんを守って生きたいと思っていますから」

大袈裟に話をしては来たが、これは嘘じゃねぇからな。初音だったら…そう考えた事は気付いてから何度もある。

「…お父さん」
「……及川さん」

不意にお袋さんと親父さんが顔を見合わせる。

「輝一で結構です」
「…輝一さん、あんたの言いたい事はよくわかった」
「ありがとうございます!」
「気持ちがなきゃ、六時間近くもかけて車でこんなとこまでは来れんしな」

やべぇ…手土産忘れた!

「こんな遅がけに申し訳ないとは思いましたが…居ても立ってもいられずで。手ぶらで失礼を」
「いや…うちも急ぎすぎた感はあってな。三十目前で焦っとって」
「もっと早くにお伺いしたいとは思っていたんですが…重ね重ね失礼ばかりで…」

ぐっと頭を下げる。

「いや、こんなに考えて下さるんだ。明日のは見送った方がいいな」
「すぐ連絡するわ」

お袋さんはすぐに電話で断りを入れてくれるらしい。作戦、成功…だな。

「初音は…我慢強くてな…負けん気も強い。思ったら一途な優しい娘だで」
「承知しています…それに生真面目で熱心…お父さんの血ですね。気配りがうまくて視野が広く、機転もよく利く。更に二か国語に精通し、言い回しも完璧です」
「よお見とる」

やっぱ自慢の一人娘なんだな。褒めると鋼顔の親父さんの顔、締まりがなくなってくし。

「副社長就任以来四年も傍にいて、支えてくれましたから」
「今は意地になっとるだけだで」
「はい…原因は私にもあるんでしょうから…」
「言えばわかる子だで」
「はい」

初音の親父さんは俺を認めてくれたようだ。

「もう暫くすりゃ帰って来るで、うちでゆっくりしてりゃあ」
「いえ、余所者がこれ以上お邪魔するわけには参りません。駅のそばにホテルを取りますので、これで…」
「何言ってりゃあす、婿さん泊められん在所なんてありゃせんわ。それからお義父さんでいいで」
「お父さん、先方さんもういいて言わしたわ」
「釣り書見ても、輝一さんの足下にも及ばせんし」
「そうそう輝一さんの趣味は?」

趣味!?んなもん、ねぇし。

「特にありませんので仕事…と言うしかありません。初音さんが一緒の場合に限りますが」
「先方さんの趣味は料理らしくてね…だったら何で初音に仕事辞めろなんていうかね~?」
「自分よりよお稼ぐ嫁さんじゃ情けないと思ったからだて」
「年収は明らかに初音の方がいいから」
「初音さんは激務でしたから…と言うか俺が自己管理を出来ないせいなんですが」
「いや、男は女房によおしてもらえてこそだで。輝一さんは世話の焼き甲斐もありそうだでね」
「お父さんはやりゃせんだけだがね」

にこやかに話をしてもらえた上、お義父さんからは【婿】扱い。しかも今夜の宿まで…泊めてくれると言い出してもらえた。
やりゃ出来る…さすが俺。

それからは初音の仕事ぶりやうちの会社の事について、業種・業績、主な取引先を話して聞かせた。興味深げに聞いている。
初音を口説く準備は出来た。早く帰って来いよ。