「輝一、相当やられてたよ」
「石田さんにはちゃんと言ってあるし、メモも残したのに…」

私は光一さんと遅い夕食の為に、光一さんが予約してくれた料亭の個室にいた。お手洗いに席を外している間に副社長に電話してたみたい。

「初音のありがたみを身を以て知ったんじゃないかな?輝一にはいい薬だよ」
「だといいんですけど」
「明日はゆっくり帰ろう。輝一には言ってあるし。初音への福利厚生だよ」
「ありがとうございます」

福利厚生…副社長の口からは聞けない言葉ね。副社長の出勤日=私の出勤日だから、私の休日はかなり貴重。副社長が出社する日に私が休むと、秘書室から必ずお呼びが掛かるから、そうする事にしてる。
社長と違って副社長を相手にするには注意事項が多くて細かい。付いて回る時の立ち位置からスケジュールの詰め方、確認してもらう書類の並べ方や果てはコーヒーの濃さと温度、出すタイミング。

文句は言うけどいい時は何も言わないし、口が悪いからちょっとの事でも慣れるまではかなりキツく聞こえたりする。四年も副社長の秘書やってると、もう気分は猛獣使い。秘書室では密かに調教師扱いされてる。

「初音も難儀だね」
「…自分でもそう思ってます」
「まぁ可愛い後輩の為だし?僕は初音を返してもらいたいところだけど…輝一は手が掛かるからね」
「私だけじゃ身が持たないので、新たな調教師を育成予定です」
「へぇ?ターゲットは誰だい?」
「秘書室の沢木君です」
「ん…ああ、初音の後輩君?」
「はい。物静かなんですけど負けず嫌いで。帰ったら石田さんと正式に入れ替えて、連れて歩きます」
「石田さんは?」
「秘書室に返すって言ったら泣きそうな声で喜んでました」
「相当重荷だったんだね、副社長の第二秘書は」

苦笑いの光一さん。石田さんの気持ちはわからなくもないから、沢木君に頑張ってもらうしかないかな。




翌日――午前の日程を終えて、お土産を買いながらのんびり帰る。私が自宅に着いたのは八時すぎだった。

二日ぶりに出社して、秘書室に直行。石田さんを労い、お土産を渡し、沢木君を伴って副社長室に向かうと、副社長はすでに少し疲れた様子で座っていた。

「おはようございます」
「…随分楽しんで来たみたいだな」
「ええ、とても有意義でした。今日から第二秘書になる沢木君です。当分は連れて歩く事にしますので、よろしくお願いします」
「っ…」
「さっ…沢木智也です!よろしくお願いしますっ」
「…ああ」

沢木君を紹介した途端、ご機嫌急降下。女の子じゃないから嫌なんだろうけど…思う通りになんてしてあげないんだから。

「沢木君、今夜空いてる?」
「あ、はい」
「副社長の情報共有の為に、これから何日か時間くれない?」
「わかりました!」
「都合がある日は言ってね?無理にとはいわないから。でも出来れば早いうちがいいわ」
「はい!いつでも言って下さい!夜は常に空けときます!」














新たに第二秘書にと連れてきた沢木智也…兄貴や東雲の後輩に当たるらしいけど…気に入らねぇ。あからさまに東雲目当てじゃねぇかっ。
しかも夜だぁ!?

「別に今からだって出来んだろ」
「…社長とは違って、副社長に付く場合には注意事項が多いんです。立ち位置から書類の並べ方・置き方、スケジュールの詰め方にコーヒーの濃さと温度や出すタイミング……」
「あ~もうわかっ…」
「あまつ、お付き合いされてる女性別に予約するレストランやホテルの選定…数時間で共有出来る情報だとは思えません」

…俺の秘書ってそんな仕事多いのか?まぁ、確かに秘書に立たれる位置は気になるし、書類は俺的優先順位に並べてねぇとやる気なくなるし。コーヒーは濃いめで熱いのがいい。

「………」
「十一時からはお食事の約束があったかと思いますので、三十分前には出発なさって下さい。十四時までに戻って下さい」
「東雲さん、一緒にお昼行きませんか?」
「そうね。では副社長、私共は秘書室におります。ご用の際はお呼び下さい」

気に入らねぇ!沢木の態度も平然としてる東雲の態度も!
沢木が育ったら兄貴の秘書に収まろうって魂胆なら、思い通りになんてさせっかよ!

「東雲」
「はい」
「お前らも出掛ける用意しろよ?」
「仰っている意味が…」
「今日のは沢木の歓迎の為に予約させたんだからよ」
「…ぇ?ですが…」
「適当な奴の名前出して、驚かそうとしてたんだよ」
「あ…ありがとうございます!」

東雲と二人きりになんてさせるかっての。

予約したレストランに一名追加して向かう。約束があった女にはキャンセルの連絡も入れずに。
食事中、東雲は沢木に今日この後のスケジュールや主立った取引先の事、立ち位置について話をしていた。実際話を聞けば、そんな気遣いがあったのには驚きで。

東雲は始終穏やかに沢木に話をしていたが、沢木の方は若干ぽーっとした感があった。兄貴から随分前に聞いた話だと、キャンパスでも東雲はかなりの人気を博し、フッた男は五万といたらしい。ミスコンの常連だったが、鼻にかける事もない。秘書は東雲の天職だと勧めたのも兄貴だったとか。
【光一さん】とか呼ぶくらいだから、それなりに兄貴とは関係があったんだろう……あ~!考えるだけでイライラするっ!

「東雲さん、今夜はクラップスに行きませんか?」
「ピッツァ?いいわね。大学時代はよく行ったけど、社会人になってからは初めてだわ」

またわからない話が始まった。俺は兄貴らとは違う国立に行ったから、キャンパスの昔話をされると口を挟む事も出来ねぇ。
東雲の意識をこっちに向ける手段として、俺が知っているのは……。

「そろそろ参りますか?」
「…そうだな」

腕時計に目をやるだけ。東雲は俺のこの動作を…一挙一動些細な変調すら見逃さない。
敏腕秘書と言われる所以か、動くのも俺より早い。これがデートなら男は形無しだ。さっさと会計にカードを出して会計を済ませ、車を回す。

「東雲、経費で落とせ」
「領収書は頂いていませんから」
「なら現金で返してやる」
「結構です。沢木君の為に約束をキャンセルして下さったお詫びに」

チッ…バレてんのかよ…。

「それに社長から軍資金も頂いてますので」
「はぁ!?」
「沢木君の教育の為の社外での諸経費にと」

兄貴…東雲と沢木二人きりにしていいのかよ!?

「経費出てるんですか?」
「無駄に使うつもりはないから、何回かはうちで…と思ってるけど」
「東雲さん家ですか!?」
「ご不満?」
「大満足です!頑張りますっ」

よかねぇだろ!危機感ねぇのか、テメェはっ!!

「副社長。十四時からは営業の進捗報告と、その後は社長からセミナーの報告がございますので、終了予定時刻は十八時半です」
「ああ」
「今日はどちらかご予約致しますか?」
「予定はない」
「畏まりました。ではお帰りの際にはお声掛け下さい」

…て事は東雲が車回すのか…?だったら……。


営業の進捗は兄貴が誉めるくれぇだったが、セミナーの報告には辟易した。
【光一さん】
思い出すのは東雲が兄貴を呼ぶ声だけ。時折兄貴の報告に相槌を打つように追記する東雲は、まるで社長秘書。社内でも兄貴の秘書がお飾りなのは周知の事実なだけに、東雲が兄貴の秘書になる事を望む声も多い。

「東雲」
「はい、正面でお待ち下さい」

そう言いながら東雲は俺用の社用車として管理を任されている国産車のキーを手にしていた。

「こっちにしろ」
「っ…と、副社長のジャガー…ですか?」
「ああ」
「畏まりました」

沢木は自分の車で付いてくるらしい。

「…まぁ…かなり効率はいいですね」
「兄貴もいる。そうしろ、経費も安上がりだ」
「わかりました」

二人で出掛けさせるのは阻止出来た。