「今日と明日はオフだからな」
「朝食、食べます?ポトフなんですけど」
「…あぁ…啓太と百合は寝てるのか?」
「今日はお休みだから。ゆっくり寝てていい日なんです。いつも家の事を手伝ってくれて…ホントならもっと友達と遊びたいはずなのに…」

スープカップには野菜とウィンナーがたっぷり入っている。暖かいカップを手にして、スープを啜る。
やはり暖かさと共に不思議な安堵をもたらしてくれた。

「…私が…頼りなくて、不甲斐ないから…」
「お前が不甲斐なかったら、俺はとんでもないろくでなしだな…」
「え?」
「守る相手もなく、好き勝手に生きてるだけだ…別段、楽しみもない」

ほくほくのかぼちゃを頬張りながら、尚嗣が続ける。

「俺は性悪なクビ切りジャック社長だからな」
「社長はすごい人ですよ…私は家族三人で手一杯なのに、社長はグループの全従業員とその家族の生活を守ってるじゃないですか?」
「そんなものは俺の暇潰しの延長上にあっただけだ」

すっかり空になった尚嗣のスープカップに、絢女はまたポトフを満たす。尚嗣は決して頼んではいないのだが、まだ食指は欲していた。
そうなるとグルメリポーターが例えに使う【柔らかい味】だの【優しい味】だのが信じられなくなるものだ。それらが不味いとは言わないが、本当に柔らかくて優しいのはこう言うところにあるものだろう…尚嗣は満たされたスープカップにまた手を伸ばした。


尚嗣は絢女に進められて風呂に浸かっていた。浴槽に浸かる習慣はなく、温泉にも行かない。常に手早くシャワーで済ませるのだが、またしても初めての体験だ。
足を伸ばせるだけのスペースはある浴槽で、尚嗣は長く深い溜息を付いた。
何故、神崎家はこうも尚嗣を安堵させるのか…。中流の一般家庭の温もり…尚嗣には覚えのないものだ。
何より気遣いは自然で、恩を売るような言い回しをしない。媚び諂うのではなく、そこにいるからやっているような自然さ。

着替え代わりにと父親の私服を借りた。
チノパンにハイネックのニットだった。普段からシャツスタイルの多い尚嗣が、鏡を見て何気にイケると思ってしまうほど、絢女から勧められるものは自然に受け入れている。

「尚嗣お兄ちゃん、おはよ~!」
「やったぁ♪まだいてくれたんだ!」

啓太と百合は寝ぼけ眼でリビングに来たが、尚嗣を目にした途端に覚醒して飛びついた。

「おはよう。朝から元気だな、二人共」
「いつもはダラダラしてるのにね?」
「だって尚嗣お兄ちゃんいるんだもん」
「ね~?」

両サイドから尚嗣にしがみついて、啓太と百合は嬉しそうだ。弟妹に好かれる兄の心境だ。
暖かい…好かれている事をこんなに暖かいと思った事はなかった。

「尚嗣お兄ちゃんも今日はお休みなの?」
「あぁ。久しぶりに休みだ」
「じゃあゆっくりだね」
「そうだな…今朝はゆっくり寝られた」
「尚嗣お兄ちゃん、疲れてるんだよ」
「もっとゆっくりしていいよ?」
「ありがとう」

年端も行かない二人の優しさは絢女がいたからだろう…と、二人の朝食を用意する絢女の後ろ姿を見つめた。
自慢ではないが自分は華やかな世界に暮らしている。絢女が暮らしているところとは、世界も時間の流れも何もかもが異なっている。
しかし絢女は尚嗣にない余裕のようなものを感じた。自分以外に手間を掛けてやれるだけの余裕を。
金銭面やそれに準ずるような富裕層の持つ【物的】余裕ではなく、【心的】余裕だ。
尚嗣は金があればある程に人は貪欲で、性格が歪んでいくと信じて止まない。慈善事業に投資する事すら、売名行為で投資以上の金を実らせる種だとしか思わない。
だが絢女は経済的に【物的】余裕があるわけでもないのに、どこかゆとりを持って人に接するように見える。

「お姉ちゃん、今日はどうするの?」
「ん~…緑地公園でバドミントンとか?」
「お弁当持って行こうよ!百合、雑穀ご飯のおにぎり食べたい!」
「緑地公園でバドミントンに決定!」

啓太と百合は絢女の言葉ではしゃぎながらキッチンに走り出した。

「何が始まるんだ?」
「今日は緑地公園にバドミントンをしに行くんです。お弁当作って」
「お姉ちゃん、百合がおにぎりしていい?」
「いいよ、けど炊飯器は熱いから、啓太に手伝ってもらってね?啓太、百合のやってあげて」

弁当を作って公園に…その響きすら暖かい。

「暇だったら一緒にどうですか?」
「……あぁ」

そう答えると絢女は柔らかく笑った。啓太と百合も尚嗣が行くのだとわかると、大はしゃぎで用意を進めた。
卵焼きやウィンナー、手作りのミートボールに唐揚げ…王道のメニューが次々と出来上がる。啓太と百合は少々サイズに差はあるが、おにぎりを作っていく。
重箱のようなランチケースに詰め終わると、啓太がランチケースを持ち、百合がバドミントンのラケットを二セット持った。
尚嗣が車を出してやる事にして、四人は緑地公園に向かった――。