尚嗣は両親とテーブルについていた。

「…いいお嬢さんだな」
「弟さんも妹さんも、素直でいい子たちね」
「だから何だ…どうせ勝手に調べを入れてるんだろ」
「白沢工業だったか?あそこの専務のお嬢さんとの婚約の噂を聞いていたが…」
「取引を止めた。あれのお陰で一つプロジェクトが潰れたからな…大損害だ」

嫌そうに話す尚嗣に、両親も頷く。

「らしいな…あそこのご令嬢が相手なら反対していた」
「浪費がとても酷いらしいわね…」
「面子や体裁ばかり気にする…俺の仕事は理解出来ないだろうな」
「だが…絢女さんはお前の秘書で、勇矢君から聞く限りでは働きぶりも非常にいいそうだな」
「あぁ」

当然の評価に、今度は満足げだ。

「家庭的でいいわね…私には出来なかったから。お食事はもう終わったのに、今度は何をしてるのかしら?」
「啓太と百合の明日のおやつだな。ほぼ毎日、ああして前夜に用意する」
「まぁ…そうなの」

母は感心して、キッチンを眺めた。

「百合もやる!」
「僕も!」
「じゃあ二人の好きなもの入れて?」

明日のおやつはパウンドケーキ。型に流し込む前に、ボウル二つに分けてやると、ドライフルーツやチョコチップを出してきて、二人は楽しそうに混ぜ、慎重に型に流し込む。


「…お前の目が確かでよかった」
「当たり前だ」
「お父様にご挨拶はしたの?」
「あぁ、ここに越す前にな。元住んでいたところを追い出された原因は俺にある…全て話して了解は得てる」
「そうか…ならば何も言うまい。式には呼んでくれるだろう?」
「呼ばずに済ませたいが…絢女が反対するだろうからな」

穏やかな表情の尚嗣に、両親は柔らかく笑みを浮かべた。

「どうぞ」

不意に絢女がコーヒーを出してきた。尚嗣は当たり前のように口にする。

「絢女はコーヒーも旨い…お袋でもブラックでも飲めるはずだ」

倣うように二人もカップを手にした。ふわりと仄甘さが広がる。苦みを感じさせないそれは、まるで尚嗣と絢女の関係のようだ。

「尚嗣お兄ちゃんはプレーン?」
「そうだな…たまには啓太オススメのドライフルーツを試してみるか」
「畏まりましたぁ」

冗談めかしたやり取りにも、幸せな生活が滲み出る。

「尚嗣お兄ちゃんのお父さんとお母さんは?何がいいですか?」

百合が寄ってきてそう問うてくる。

「おやつの時間にはいられないからね」

父は優しげに百合に答えた。百合は暫く何か考えていたようだが、あっと声を上げた。

「百合、明日は祝日で学校お休みだから、お届けに行ってあげるよ?」
「いやいや、そんな遠くは危ないよ」
「行きたいか、百合?」

父の言葉を遮るように、尚嗣は百合に問う。

「行きたい!お兄ちゃんも一緒に行こうよ!」
「うん!」
「ちょうどいいな…明日は株主総会の打ち合わせがある。帰り時間が不安だったからな…お袋が一緒なら安心だ」
「けど…ご迷惑に…」
「あらあら、そう言う事なら喜んで宅配してもらおうかしら」

母は嬉しそうに百合の顔を覗き込む。

「絢女さん、気にする事はない。私らは仕事を離れた隠居生活のようなもんだ。尚嗣以外に子供はおらん」
「そろそろ新しい生き甲斐が欲しいんだけど…仕事が忙しいならまだ先みたいだし」
「ぇ、あ…」
「お袋…」
「啓太くん。うちまでの地図を書くから、百合ちゃんと遊びに来てくれるかい?」
「はい!」

孫に接する祖父母のような両親に、尚嗣も安堵の溜息を零していた。尚嗣には、両親と他愛もない話をした記憶がない。
仕事の面では、社長職を譲られた当初に、父と何度か言い合いをした事くらいで、それ以外では母とすらまともな会話をした覚えがないのだ。

「楽しみだね、百合」
「うん!」
「よろしいんですか?こんな急に…」
「ボケ防止だ」
「尚嗣さんっ」
「うちの親は毎日暇そうだからな。啓太と百合なら大丈夫だ。迷惑になるような事はない」
「啓太くんと百合ちゃんは、久し振りのお客様なのよ」

本当に嬉しそうな両親…絢女もそれならばと漸く表情を緩めて見せた。

啓太と百合はパウンドケーキを届けるのだと、更に生地を作り始める。二人だけで出掛けるのは、尚嗣の会社を電車で訪れた時以来で、楽しみで仕方がないらしい。

「絢女さん、こんな息子で申し訳ないんだけど…嫁いで頂けるかしら?」
「ぇ…?」
「君のようなお嬢さんなら申し分ない。息子をよろしくお願いします」

頭を下げられた絢女は驚きながらも、薄らと瞳を潤ませた。

「はい…幾久しく、よろしくお願い致します」

そう答えた絢女を、尚嗣は胸に抱き寄せて、そっと口付けた――。






それ以後、啓太と百合はよく尚嗣の実家に遊びに行くようになった。尚嗣も自宅に招いて両親と食事をする機会も増え、両親を交えて人生ゲームに興じるようにもなっていた。
尚嗣と絢女は無事婚約を済ませ、両親同士も初対面した。
絢女の父は術後の経過もよく、退院していた。
親同士も互いに良い関係を築けているらしく、特に父同士は共通の趣味を発見して以来、頻繁に会っているようだ。

尚嗣と絢女の結婚は、社内では電撃結婚と言われている。尚嗣との関係を知っていたのは、長谷部だけだ。
披露宴は初めて出会った日に行われた。入籍日に至っては、実は初めてキスを交わした日だ。
尚嗣はあえて言わなかったが、絢女は何となく気付いている様子だった。

絢女の父は病が発覚して退職するまで、偶然にも白沢工業との取引中止後に新規契約をした、榛マシナリーの人事部長だった。十分に自宅療養をした後、尚嗣から我社に来てくれと頭を下げられ、今や尚嗣の父と同じくして、顧問と言う地位にいる。
相変わらず父二人は、暇さえあれば趣味の話が絶えないようだ。






賑やかだが柔らかい幸せに満たされた尚嗣と絢女――更に仄甘くも賑やかな生活が、誰もが祝福する【家族増員】と言う形で、その数ヶ月後から始まろうとしていた――。




--End--