翌朝は六時起床で準備をし、一番の国内線に乗って一路沖縄へ。

午後には目的地に到着した。
喜屋武岬を間近にした、沖縄らしい造りの平屋。シーサーが屋根と玄関に当たる門壁の両サイドに鎮座している。

「ホテルみたいなところかと思ってました」
「拍子抜けか?」
「沖縄っぽくてホテルより全然いいですよ。啓太と百合もあんなにはしゃいでるし」

柔らかい笑みに尚嗣も穏やかに笑う。

「個人宅みたいですね」
「あぁ…ここはおれの持ち物だ。保養所はホテルと変わらない」
「え!?じゃあ今回のオフは…」
「元からここで過ごすつもりだった」
「お邪魔しちゃってよかったんですか?ゆっくりは過ごせなくなりますよ」
「前にも言ったが…」

尚嗣が絢女に向き直る。

「邪魔なら言わないだろう?それに俺はお前たちなら構わない」
「社長…」
「オフの間はその呼び方を止めろ、勤務時間外だからな」
「前島さん」
「………」

期待したのと違う呼び方にムッとする。

「…尚嗣、さん」

それを察したのか、絢女がそう呼んだ。

「それでいい」

肩を引き寄せて尚嗣が歩き出す。絢女はそれに促されるように足を出す。
何故こうも意識させるのか…まるで社交辞令のようにも感じる尚嗣の仕草に、絢女は胸がざわついた。
想い合っているわけでもないのにこんな親密になっていく事に、抵抗は隠せない。不道徳だとまでは思わないが、絢女にすればそれは不自然な形だった。

男を意識するのはどれくらいぶりかを反芻する。父が病に倒れて以来、数年はなかった事だ。
言い寄られた事はあっても、それは恋にまで発展しなかった。正確には発展させなかった、が正しいが。
母を亡くした頃から聞き分けの良くなった幼い弟妹の為にも、自分がその代わりにならねばならない。そう強く思うようになった。
大抵、言い寄ってきた男たちは、二人きりになりたいだのと、弟妹を邪険にしようとする。
しかし尚嗣は…二人の事まで気遣って、よくしてくれている。

絢女にすれば、それだけでも尚嗣に特別な感情を抱くに十分な理由になった。



今日から泊まる家には島袋という夫婦の管理人がいて、郷土料理を振る舞ってくれるらしく、絢女は楽をさせてもらう事になった。

「何だか手持ち無沙汰です」
「いつも忙しなく動き回っているんだ…たまには息抜きをしろ」

家の裏手にある縁側に座ると、眼前にはプライベートビーチのように海岸がある。啓太と百合は砂浜ではしゃぎ回っていた。明日は一日かけて、名所や有名な水族館を回る予定になっている。
尚嗣と絢女は肩を並べて座り、はしゃぐ弟妹を穏やかに見守っている。

「…こう言う時間もいいな…ゆったりしていて…ホッとする」
「忙しい人ですからね…尚嗣、さんは」
「社長に就任してからは特にな…プライベートも仕事三昧だ。それが当たり前になってる」
「息抜きが必要なのは、私よりも尚嗣さん…ですよ」
「お前を秘書に採用してから…これでも俺の生活はかなり変わったぞ?」
「そうなんですか?」
「初めてピーラーを手にして大根を剥いて、人生ゲームも初めてだったな。十年以上ぶりに風呂で浴槽に浸かった…煙草の本数が減ったし、ちゃんと腹が減るようになった」
「…後半のは…かなり不摂生してたんですねι」
「仕事がメインの生活だったからな…俺は無趣味だ。寧ろ仕事が趣味のようなものだ…だが今は…こう言う時間の為に働いている気がする」

眺めていた啓太たちから視線を隣に移すと、絢女が自分を見つめていた。それに気付けば、心臓が強く脈打つ。

「…絢女?」

その瞳は切なげに見えたのだ。

「どうした?」
「…尚嗣さんを…包んで癒してくれるような人には…出会え、なかったんですか?」
「…一人、いる」

そう言った尚嗣が相手を反芻するように、目を細めた。酷く愛しげに…。

「…その、人と…お付き合いされてらっしゃらないんですか?」
「まだ、な」
「どうして…?」
「何を考えているのか…わからないからだ」
「…訊いたら、いいんですよ…そうしたら……私たちじゃなくて、その人と…ゆっくり出来るのに…」

尚嗣に想う相手がいると聞かされて、頭がうまく回らない。自分から訊いたくせに、訊かなければよかったと後悔すらした。

「…全く…わかっていないんだな」
「……?」
「では訊くが…お前に想う男はいるのか?」
「ゎ、たし…?」
「他に誰がいる?」
「私……想う人は…います…」

俯いて瞼を閉じても、隣に座る男しか思い浮かばない。

「想って長いか?」
「…いえ…そうなんじゃないかって気付いたのも最近だったから…」

誘導尋問のつもりが、そうもいかなくなった。想う相手がいると聞かされただけで、ジクジクと胸の奥底が痛みを発する。
自分に抱き締められて、キスされても抵抗をしないくせに…そんな怒りすら感じた。

「でも……私も…その人が何を考えてるか、わかんなくて…訊いてショックを受けたくなくて……」
「…なら…ここにいる間は忘れろ」

思わぬ言葉に絢女は顔を上げた。尚嗣の目は真剣で、射竦められたように視線を反らす事はおろか、身動きが出来ない。

「…俺で我慢しろ」

これまでにない程、きつく包まれて、唇が重なる…焦りにも似た口腔に感じるその動きに、絢女は流されるように任せた。

「全て忘れろ…俺に任せればいい」

低く響く声は唸るように内耳に届く。尚嗣の声は簡単に胸をざわつかせてしまう。

「絢女」
「…な、おつ……」

吐息のように零れる自分の名が、尚嗣を駆り立てる。



その夜――絢女にすれば不自然な形で、新たに一つ…尚嗣との今まで以上に親密で仄甘い繋がりが生まれた――。