「もういい……晴れたし帰る……」


鏡を奪い取って、湿ったカバンを引っ掴んだ。

立ち上がったところで、屋根からぴちょんと残ったしずくが頭に落ちた。


「ああ、気をつけて帰れよ。この晴天も、そう長くは続かん」

「……あんたなんかにおまんじゅうあげるんじゃなかった」

「あ、そうだな、三波屋の饅頭も、また土産に持ってこい」

「誰が持ってくるか!」


神様じゃなけりゃ殴ってた。

殴る代わりにキッと睨んで、そのままお賽銭箱の横を早足ですり抜ける。

そうして、西日が直に当たったところで「千世」と名前を呼ばれた。

振り返る。その人は、日陰に座って柔らかく笑っている。


「我が名は常葉。この社に住まう“人の願い”を守る神」


銀の髪が揺れていた。琥珀の瞳が、きらりと光った。


「明日もここで待つ。千世、また、明日」


手を振るその人に振り返さずに、わたしは短い参道を走っていった。

鳥居をくぐった先、階段を下りる前にもう一度だけ振り返ってみたけれど、もうその人──常葉はそこにいなかった。


「……ときわ」


真っ赤な鳥居を見上げる。その先の、少しオレンジに染まり始めた空を見る。

おでこに手を触れてみた。まだ感触が残ってて、ちょっとだけ、熱かった。


そのときにふと気づいた。びしょ濡れだった制服やローファーが、空と同じに乾いていた。


息を吸って。カバンを背負いなおして。

まだ濡れる石の階段を、ひとつ飛ばしで駆け下りた。