私はこの病気と26年間ずっと一緒に付き合ってきている。
一歳8か月の時に、この病気を突然発症してからずっと。
だから、物心つく前から注射をすることは当たり前だった。幼稚園に行って初めて、自分以外の人は注射をしていないことに気付いたのだ。その事実に初めはすごく混乱した。
幼稚園のうちはよかった。小学校高学年になると、そのことでいじめられたこともあった。
今まで呼吸をするのと同じように、当たり前に行ってきた“インスリン注射”。それが当たり前じゃないと思い知らされて、そんな自分が異常に思えて。注射が嫌になって、インスリンを打たないでいた反抗期もあった。
もちろん、インスリンを打たなければ血糖は上がり続ける。当然私も、高血糖でこん睡状態になる直前までなってしまった。その時、朦朧とする意識の中で見た、両親のあの切羽詰まった顔は忘れたくても忘れられない。
今ではこれも私の一部だと受け入れて、もう偏見の目も気にならないくらいに開き直ってはいる。だって私の“インスリン注射(これ)”は、生きるために必要なことなのだ。
人は息をしなくちゃ生きられない。私はそれにインスリン注射もプラスされているだけだ。
自然とそう思えるようになった。そう思えるようになるまでの道のりは、とても長かった。
私がこの病気だと知っているのは、限られた人しかいない。
家族と真帆、中学高校大学時代の気のおける友人数人と、今の会社の上司。あとは今までの担任と保健医、そして元彼たちだけ。
私は自分から“私IDDMなの”だなんて言わない。言えない。
言われた方も困ると思うし、知られないまま普通の友人として付き合ってもらう方が、楽だった。


