「さいってー」
広々とした近藤組組長本宅の奥座敷で、臣と志摩は二人仲良く正座させられていた。
そんなふたりの前に同じく正座して冷ややかな視線を向けているのは、近藤組組長妻、多恵である。
「はじめてのデートのしめくくりにごま塩とジャージが加わってるってどういうことなの。仕事だってのはわかるけど、そのことに関して臣はなんのフォローもしなかったの?最後まで自分で家まで送れないなら、もうちょっとなんかあるべきでしょ?ごめんでも楽しかったでもまた会おうでも。それを一言もなく、挙句に彼女に気を遣わせてごま塩とジャージに送らせて更にはそのあとのフォローもなし。さいってー。しんじらんない。さいってー」
多恵はかつての女子高生のときのような口調で目の前の大男を詰った。
その辛辣な言葉に、臣の肩がどんどん下がっていく。
ちなみに、ごま塩とジャージとは志摩と須藤のことである。
「千代さんにとってはごま塩もジャージも他人の男なのよ。しかもヤクザの。それなのに深夜過ぎた時間にそんな男共に任せるなんて常識どこいった。臣にとってごま塩とジャージは信頼に値する男だとしても、千代さんにとってはよく知らないただのヤクザもん。この前誘拐事件があってただでさえ怖い思いをしたばかりだっていうのに、そんな彼女を気遣う余裕もなく無言で通すなんてデリカシーなさすぎ。千代さんは堅気のお嬢さんなのよ。あんたが極道の男だとわかった上で付き合ってくれているなら、尚のこと臣は精一杯気を遣うべきでしょう。極道のあんたが彼女と付き合ってあげてるんじゃないの。この場合、堅気の彼女が極道のあんたと付き合ってくれてるってのが正しいのよ。堅気の千代さんがどんな覚悟であんたを受け入れたか考えてみなさいよ。そんな心構えで付き合ってたら、そのうち愛想つかされて他の男に逃げられるのがオチ。ちょっとはうちの宇佐さんを見習ってちょうだい」
「宇佐さんって言われるとウサギちゃんみたいだなあ」
「宇佐さんからも一言言ってやってよ!」
長い説教のあとにスムーズに割り込んできた宇佐美に、多恵は八つ当たりした。
志摩から臣の初デートの話を聞き、ちょっと待て、おまえなんでそんな詳しく知ってるんだごま塩、という流れになり、詳細を聞いた多恵の怒りが爆発した次第である。
「……そんなに責められるような真似しちまいましたかね、姐さん」
今まで黙って多恵の説教を聞いていた志摩が、納得いかんというような態で顔を上げた。
その一言に、多恵の鋭い視線が突き刺さる。
「そんなこと言ってる時点で失格。さいってー。あんたたち極道の悪いとこは、極道には極道の道理があるんじゃと女には口出しできないことを免罪符にして我慢させるとこよ。今すぐ反省してきなさい。そして今までの態度を反省して曜子さんに土下座して謝ってきなさい」
一で十、返された。
しかも過去のことまで持ち出されて、志摩は黙るしかない。
確かに一理ある。一理どころか二理も三理もある。それが原因で志摩は曜子には愛想をつかれて離婚を切り出された。確かあのときの台詞も、「あんたの道理に付き合うのが疲れました」だった気がする。
組長の本妻という立場でもって古傷を容赦なく抉る……多恵、恐ろしすぎる女である。
「あと、千代さんは臣が話さないことも気にしてると思うよ」
宇佐美に穏やかに助言され、臣はますます小さくなるしかない。
いつもなら五月蠅い、と一蹴する言葉も、そこに千代のことがかかわってくると重みが違ってくる。他人にどうしてそこまでと笑われても構わないくらい、臣は千代に惚れていた。
「その調子だと、お前から連絡もとっていないのでしょう。彼女から電話してきてほしいと思う気持ちも解るけれど、彼女からしたら、自分と話をしようともしない臣に連絡するのは相当な勇気がいると思うけれど。もしかしたら迷惑に思われるかもしれないと不安なのかもしれないよ」
その宇佐美の一言は強烈に臣の胸を抉った。
ヤッパ(刀のこと)で心臓を一突きされたような気分である。
しかし志摩には納得がいかなかったらしい。
多恵の攻撃に青ざめていた顔を上げて、宇佐美に抗議の目を向けた。
「――それは言い過ぎじゃありませんか、宇佐美坊ちゃん。うちの若がどうして言葉を話さなくなったか、あんたはよおっくご存知のはずだ」
近藤組組長である宇佐美を坊ちゃん呼ばわり――間違いなくぶちギレている志摩の様子に、多恵は何故かときめき、宇佐美は苦笑した。
「お前は相変わらず臣に甘いね。だから先代もお前に臣を託したのだろうけど。……けれどね、それをずっと引きずっていくわけにはいかないだろう。臣が近藤に席を置いているのは臣の意思だ。決めたのは臣自身。言葉を話さなくなったこと……それをいつまでもひきずって、臣の大事な人を傷つけてしまったら本末転倒だと思うけれど。わかってほしいなら、言葉にすればいいことだ。堅気のお嬢さんには少々血なまぐさい話になるだろうけれど、それは話さなくていい理由にならない。大した問題じゃないんだよ。臣が千代さんを信じているならね。今すぐできるようになるには難しいというなら、臣が無口でいることは彼女にはなんの非も内ないと、やはり言葉にしなければ」
穏やかな笑みを浮かべて諭されて、今度は志摩もがっくりとうなだれた。
「反省してる暇があるなら、さっさと千代さんのところに行きなさい。あんたたちの倍は不安になってるわよ!」
つい先ほど、反省しろといっておきながらこの言い草である。
とはいえ、多恵が臣と志摩を思いやっての発言だとわかっているからこそ、臣は勢いよく頭を下げて、無言で奥座敷を後にした。
さすがに今の話を聞いて後についていくほど志摩も馬鹿ではない。
臣が遠ざかる足音を三人で聞きながら、三人三様、ふうと息を吐いた。
「千代さんに泣かれて散々困るといいわ」
「……若、そうなって我慢できますかね」
「臣は千代さんの泣き顔大好きだもんねえ。ま、いきなりホテルに連れ込んでも嫌われない程度には、好かれてるんじゃないですか、うちの不器用な愚弟は」
宇佐美ののんびりとした口調に、果たして、と心配になる志摩と多恵だった。