……わたしは今、帰りの馬車の中にいる。

外はすっかり闇夜で、薄い月だけが輝いている。龍の星屑は見えない。

その薄い月が、彼女のニタリ顔の口元にしか見えないのはわたしだけだろうか。



カイルさんも終始無言。馬車の車輪と蹄の音しか聞こえない。

ティノも緊張の糸が切れたのだろうか、わたしの膝の上で寝ている。

龍はたぶん変温動物だから、この寒さに耐えられないのかもしれない。現に、わたしはカイルさんの上着を貸してもらっている。

カイルさんは酒を飲んだから平気だって言ってくれたけど、やっぱり心配になる。



「カイルさん……寒くないですか?」

「あ?ああ……おまえの格好を見ている方がよほど寒い」



わたしはドレスにコートとカイルさんの上着を着ている。

コートはもともと行くときにも着ていたけど、こんなに寒くなるとは思わなかった 。もしかしたらケルビンよりも寒いかもしれない。

……いや、気温が寒いのではなく、場の空気が冷たいのかもしれない。






……さっきの会話で、変なことを耳にしたような気がするとわたしは思って、カイルさんに聞いてみた。



「あの、カイルさん」

「なんだ」

「さっき、おまえたちの犯した罪って言われてましたよね。どういう意味ですか?」




それはラセスとカイルさんとの会話の中にあった言葉。

わたしは確かに反抗したけど、それだけで罪になるとは思えない。

ということは、わたしには関係ない何かがあったということになる。




「……ここは初代紫姫がいた国だってことは教えたよな?それなら、その紫姫が過ごした国はどこだと思う?」

「え?うーん……」



リチリアの隣……リチリアの隣……


いっぱいありすぎてわからない。

この地域はヨーロッパみたいに国という国がひしめきあっていて、ひとことにリチリアの隣と言ってもたくさんありすぎる。



「……紫姫が過ごしていた国は、現ケルビンだ。昔はまだ名前が制定されていなかったがな」

「え……ということは……」

「そうだ。俺たちの国はリチリアにとって因縁のある国ということだ。今の俺たちには関係のない昔の話だが、やつらにとっては関係のある話なんだろう。
根に持つタイプみたいだな、ラセスは」

「じゃあ、なんで否定しなかったんですか」

「そんなやつに関係ないと言ったところで、聞き入れてもらえるとは到底思えないし思わない。止めてくれと懇願することは決してしない。
それに宣戦布告と偽紫姫は言ったが、やつから宣戦布告してきたにしか思えない」

「助言者が彼女なら、乱獲やオーロラ石の件は彼女の差し金、ですね」

「ああ。そうなる」




つまり、どちらにも戦う理由があるということだ。どちらにも何かしらの理由があるからこそ、意味深な会話が成立した。




「それに、おまえは少なからず拐われるか囚われるかされるだろうな。あるいは殺される、か?」

「なんでそんな不吉なことをさらっと言えるんですか!わたしがどうなってもいいんですか?」

「そんなわけないだろう。むきになるな。
この戦争には2つの護るべき存在が俺にはある」

「2つ……?」




わたしは心をいったん静めて、次の言葉を待った。

膝の上ではティノが尻尾を少し左右に揺らした。




「ひとつはケルビン、そしてもうひとつはおまえだ」

「わたし……」

「そうだ。死守しなければな、なんと言ってもあの紫姫様だ。殺されるようなことになれば、例え戦争に勝利したとしてもどんな天罰が下るかわからない」




カイルさんはそう言うと、肩をすくめて見せ、ニヤリと笑った。




「……人を疫病神みたいに言わないでください」

「だってそうだろう?」

「だっても何もありませんっ!……イタッ!まぁぁぁたぁぁぁぁ馬車がガタガタッしてますぅぅぅうぅぅう……」

「……くはっ!あはははは!なんだその言い方!」

「わわわらららはないでくださいよーぉぉぉ!」




だって、車輪がわたしの方が近いんだからこうなるでしょ!

カイルさんはまだ笑っている。ティノはこの揺れに驚いたのか、飛び起きて空中を漂っている。




「あはははははは」

「もううううう!カイイイルさん!」

「あはははははは…イテ!なにすんだよおまえ!」

「ティノ!やっちゃえええ!」




ティノがカイルさんの髪の毛を口にくわえて引っ張っている。どうやらカイルさんがわたしをいじめていると思ったみたいだ。




「ふん、甘い」




カイルさんは水の壁を作って防止している。ティノはその感触が嫌だったみたいで、わたしの頭の上にしがみついた。




「あはは!濡れてるよティノ。風邪ひくからポケットに入ってて」




やっと揺れが収まりまともに話せるようになった。

わたしはティノを上着のポケットに入れてあげて正面を向くと、むすっとしたカイルさんの顔が目に入った。




「……どうしたんですか?」

「それ、俺の上着だぞ」

「……?はい」

「しかも外行き用の上着だ。濡らされたら使い物にならなくなる」

「ティノを濡らしたのはカイルさんじゃないですか」

「それとこれとは話は別だ!」

「まったく、大人げないよねー」

『にゃにゃあー!』




ポケットからティノが顔を出して肯定した。

カイルさんはふて腐れたのか、そっぽを向いて窓の外を眺めている。

その瞳には硬い決意がみなぎっているようだった。




「わたしって、国に戻ったらどうなるんですか?」

「城の中に軟禁」

「ええ?!聞いてませんよ?」

「こうなった以上、おまえを野放しにはできない。丁重におもてなしする」

「……それはわたしのことを思ってそうしてくれるんですよね?なら、また地下に戻してくださいよ!城で紫姫をするよりも、地下で庭師をしていたいんです」

「だめだ。ケヴィとはもう話がついている」

「そんな……」




じゃあ、もうみんなとは会えないの?ニックさんにリックさん、頭に地下のみなさん。

そして、ケヴィさん……

まだ植えたばかりの野菜たちを収穫することはもうできないんだ。

順調に育っているあの子牛の面倒を見ることはもうできないんだ。


ああ……やりたくて紫姫をやってるわけじゃないのに。

いっそ、あのときわたしが偽物ですって言えば良かったのかな。

そうすれば、また同じ生活を送れていたのかな。





わたしは脱力感を隠さず、ただ窓の外に浮かぶ薄い月を眺めていた。



……このあと、大事な人がこの世から去ってしまうことも知らずに─────