「うう……腹筋が割れてるー」

「夢でも見てるんじゃねえよ!」

「痛い!……あ、ケヴィさん!?」

「朝だ、さっさと起きろ!それに俺の夢を見るな!」

「無理ですよ……見たくて見てるわけじゃありませんし」

「じゃあそのよだれをなんとかしろ」

「え、うわ……ほんとだ……」

「おまえ本当に女かよ……」

「顔洗って来ます!」

「一分で戻ってこい!」



わたしは今日から庭師だ。しかも男の、だ。


今日は庭師としての初日。初日早々、教育係のケヴィさんにでこぴんをされて起きた。

しかもケヴィさんの夢を見てしまっていたことがバレているらしい。よだれを垂らして……



……見られたんだよね、昨日。見られてしまったんだよね。こんな子供っぽい身体を。

今さらながらに恥ずかしくなってきた。見られたことと、見てしまったこと。


流石にケヴィさんは大人だ。区切りをつけられている。


でもわたしは、まだ男の人に対して免疫力が低い。彼氏いない歴と年が同じ……だからだ。




「……うわあ。デカイ……」

「まずは水やりだ。風の力と水の力を使ってやることはできるが、それでは愛情が込められていない、と手でやることになっている。
おまえが言った通り、この畑は広い。しかし、手を抜くなよ」

「はい、ケヴィさん!」

「あそこで水を汲んで、おまえは向こうの列の水やりをやれ」

「わかりました!」



早速、わたしの初仕事が始まった。

地下には広い畑があった。明かりは電球をたくさん使い、床にはパイプが何本も張り巡らされている。そのパイプには暖かい空気が通っていて、この空間を温室みたいにしているようだ。

畑にはいろいろな野菜が植えられている。じゃがいもやにんじん、キャベツなどがあることから、今は冬野菜を育てているようだ。

昨日食べたシチューの具材そのままだ。


わたしはジョウロに水を汲んで、じゃがいもに水をあげ始めた。




『ありがとう、姫』




ふいに、そんな言葉が頭に響いてきた。



「もしかして、君?」



わたしは小声で今さっき水をあげたじゃがいもに話しかけてみた。コナーの一件で、わたしには動物と話す能力があると憶測した。

それは植物も例外ではないのではないか、と思って、試しに話しかけてみた。



『うん、そう。この水、おいしい。冷たい。いつもありがとう、言ってるのに、伝わらない。悲しい』




たぶん別のじゃがいもさんが答えたようだ。

どうやらじゃがいもさん達は、いつも庭師たちに感謝しているようだけど、伝わっていない、と悲しんでいるようだ。




「大丈夫、伝わっているよ」

『本当?』

「うん!」

『よかった、それなら、食べられても、平気』




そうか、じゃがいもさん達は自分が食べられちゃうって知っているんだ。



「大事に育てられて、大事に食べられているよ」

『姫、教えてくれてありがとう!』

「どういたしまして」



わたしはにっこりと笑って答えた。

……野菜にはわたしが見えているのかは疑問だが。




「遅い!何をしているんだ」

「じゃがいもさん達に話しかけていました」

「……次はこっちだ」



水やりを終えてケヴィさんの元へと戻ると、いきなり怒られた。嘘をつかずに答えると、ケヴィさんは意外にもあっさりと流した。



……もしかして、紫姫の能力がなんなのか知ってる……?



わたしはケヴィさんの大きな背中の後ろをちょこちょこと追いかけながら、ふと思った。


紫姫は三頭の狼を呼び寄せ従えさせた。


それってつまり、狼と会話をしたということ。


わたしもコナーと話した。野菜とも話した。



やっぱり、紫姫の力って……




「次は雑草抜きだ。どんな小さな草でも取れ。そいつらに栄養を吸いとられるからな」

「はい!」



わたしは手に何もつけないで除草作業にとりかかった。普通は軍手とかを使うけど、軍手をすると土を必要以上に削ってしまうから使わないらしい。



『ぎゃああ!!』
『ぎゃあ!』
『お助けー!』
『死にたくな……い……』



そんな悲鳴があちらこちらから頭に響いてくる。わたしは居ても立ってもいられなくなり、遂にはそこに耳を塞いで座りこんでしまった。



「どうした?」

「草取りは……無理です。怖くて……悲鳴が……」



ケヴィさんがわたしに近づいてきて話しかけてくれた。正直早くここから出たい。



「……わかった。あの出入口のところで待っていろ。あそこの近くの壁に窪んでいるところがある。そこなら少しはここよりもマシだろう」

「わ、かりました……ありがとうございます……」



どうやらこの作業を続けることは無理らしい。死の上に生は成り立っているって言うけど、やっぱり無理……

でも、そんなことはきれい事だってことはわかっている。

肉や魚はわたしたちのせいで死んで、胃袋におさまる。

ただ、目の前で殺されたか殺されていなかったかの違いだ。


わたしは小魚が苦手だ。無数の幼い命がこの口の中に入ると思うと、吐き気がする。しらす干しや、ホタルイカ。

あの黒いところは目なんだ、と思ってしまって、なかなか克復できないでいた。



「……次をやるぞ。できるか?」

「……それが、仕事ですから」

「ああ。無理はするなよ」

「はい」

「次は蜂を放しに行くぞ」

「蜂、ですか?」

「俺たちは養蜂もやっている。自然に受粉させられるし、蜂蜜がとれるから一石二鳥だからだ」

「へえ、刺されないんですか?」

「あいつらは蜜蜂だからな。滅多なことでは刺さない。刺したら死ぬからな」

「死んじゃうんですか?」

「蜜蜂の針は、一回しか使えない。刺したら内臓とともに針が身体から抜けるようになっている。命がけなんだ、巣を守るために」

「……」




働き蜂や働き蟻は、メスだ。女王が無精卵を産むと、オスが産まれる。有精卵だったら、メスが産まれる。

この世界ではオスはただぐうたらしているだけだ。メスだけが命をはり、早く死んでいく。


……庭師を見習ってほしいものだ。



ブブブブブ……と蜂が一匹、また一匹、と巣箱から飛んでいく。巣を大きくするために、家族を増やすために。今日も女は働く。



『姫だ!』
『あ、ほんとだ、姫だ!』
『姫!』
『姫~!』



一度は飛んで行ったと思った蜂たちだけれど、わたしの元へと戻って来た。



「頑張って巣を大きくしてね!」

『うん、みんなのために頑張る!』
『もちろん姫のためにも頑張る!』

「え?わたしのため?」

『人間が巣を取っているのは知ってる。でも、姫のためならいいや』
『そうそう、姫のため!』
『でも、人間はえさくれるから、許す!』
『うん、許す!』




蜜蜂達は人間の存在を承知している。けれど、共に生きることを選んだ。

『共存』という言葉がいちばん合っているだろう。

ご恩と奉公の関係。

お互い見返りを期待しているけれど、それほど険悪ムードではない。

世界の理想像だ。




「おまえ、蜂と話しているのか?」

「話しているって言うよりも、話しかけられているって感じです。まさに一方通行のマシンガントークです」

「……たいへんだな」

「いえいえ、聞いてるだけでも楽しいですよ?」

「俺にはその良さはわからないがな。そろそろ朝飯だ。リビングに向かうぞ」




わたしたちはもともと来た道をたどった。


……ほんとだ、みんないなくなってる。もう行っちゃったんだ。



朝ごはん何かなー?



とわたしは思いながら、ケヴィさんの後を追いかけた。