「まあ!カノンちゃん大丈夫?」

「ひどい衰弱だったからなぁ……ダメかと思ったよ。でも、元気そうで何よりだよ」

「はい、お陰様で元気になりました。治療を手伝ってくれたんですよね?」

「それが、ねぇ……」

「うん……」

「……?」





リリーちゃんに案内されたところは書斎室。そこにはヘレンさんとセレスさんがいた。

他にも人は来るそうだけど、まだ来てないという。




「カイルがねぇ……俺ひとりで十分だって聞かなかったのよ」

「そうそう。あんな頑なに言い張るのは初めて見たよ」

「そうなんですか……?」





でも、なんで?部屋に誰も入れるなって言ったみたいだし。


やっぱり何考えているのかわからない。




「カノンちゃんはすごい熱が出てて、それに傷まで負っているから手伝うって言ったんだけどね。それでもやらせてくれなかったのよ」

「自分の力が足りるのかはわからないだろうに……ひとりでやろうとして……僕たちでも何がしたかったのかよくわからない」

「……でも、あの子の気持ちはわからないでもないわね。それほど心配だったのよ、カノンちゃんのことが。誰かに任せてもし何かが起こった場合、きっと自分を責めるでしょうね」

「自分には厳しいからね、カイルは」




その何かが起こった場合って……わたしが死んだ場合ってこと?

自分の体力だって足りるかわからない状態なのに?

それなら、誰かに手伝ってもらいながらでもできたはず……ひとりでやる必要はない。




「なんでですかね」

「こればっかりはお手上げだわ。でも、元気になったんだからもういいじゃない。過ぎたことなんだし」

「そうそう。本人にしかわからないこともある」

「それで、その本人は今どこにいるんですか?」

「カイルはね、市民に声をかけに行ってるよ」

「……アルさん!」





わたしがカイルさんの居場所を聞いたとき、ちょうどドアが開いてアルさんが入って来た。

そして、その後ろには……




「シルヴィ!」

「カノン、久しぶりね。元気……そうみたいね。良かったわ!みんなで心配していたのよ?」

「ご、ごめんなさい……心配をかけてしまって」

「いいのよ。もう、終わったんだから」

「カイルはね、ちょうどシヴィックから帰ってきたセンタル市民のお出迎えをしているんだ。僕もこれから行くところだよ。
でもシルヴィがこっちに来たから話をしていたんだ。そうしたらカノンの様子が見たいってことになってね」

「もう大丈夫です!」

「ははは……それぐらい元気なら平気そうだね。その額の傷は治してもらわないの?」

「カイルさんはわたしが起きたらすぐに出て行ってしまいましたけど」

「何やってんだか……すみませんが、傷の手当てをしてもらえませんか?」

「もちろんよ。いってらっしゃい二人とも。手当てはわたしたちがしたって言っといてちょうだい」

「はい。では失礼します」

「カノン、ちゃんと治してもらってね」

「わかってるよ」




ふたりは仲良く並んで出て行った。それにしてもお似合いなカップルだ。身長もでこぼこじゃないからバランスがいい。

そんなことを思っていると、後ろから包帯をほどかれた。




「ちょっとくすぐったいかもしれないけど、我慢してね」

「はい、お願いします」




鏡で見て知ってはいたけど、赤く滲んでいる包帯。

それが解かれ、傷があるであろうところにヘレンさんの手がかざされる。


ほのかに明るく光るその手のひら。

確かに少しむず痒いけれど、我慢だ。




「はい終わり。傷痕も残らなさそうだから心配しなくて平気よ」

「ありがとうございます。あの、ところで……今は昼ですか?」

「そうだよ。市民は朝早くにこちらに向かって来て、今着いたところだからね」

「ええっと……」




わたしの言葉を遮るように、お腹がぐーっと鳴ってしまった。ハハハ……と軽く笑ってみせる。



「まあまあ、そうよね。お腹空いているわよね。リリーちゃん、何か栄養があって温かいものを持って来てちょうだい」

「かしこまりました。ただいまお持ちいたします」




リリーちゃんはそう言うと出て行き、あっという間に戻って来た。



「料理長がそうなるだろうと思って、作って待っていてくれました」




リリーちゃんが持ってきてくれたのは、野菜が小さめに切られたシチューだった。

懐かしいな、シチュー。地下で最初に食べたのはシチューだったな。



ソファーに座って黙々と食べ始める。

アツアツでもなければ冷めすぎでもないちょうどいい温かさ。


それを食べていくうちに、涙が頬を濡らし始めた。




「なんで……」



わたしは疑問を口にしながら食べ続ける。皆さんは黙ってその様子を窺っていた。


食べ終わった頃には、涙で何も見えなくなっていた。コトンとお椀をテーブルに置く。

それを合図に、せきを切ったように涙がさらに流れ出る。



すると、ヘレンさんが隣に座ってわたしの両手に手を重ねてきた。




「温かいものを食べると、安心するってよく言うわ。自分では感じていなかったけれど、全てに緊張していたのよ。きっと。気にすることはないわ」

「っく……ひっく…」




嗚咽が堪えられず口から零(こぼ)れ出る。


ヘレンさん……ごめんなさい。その事で泣いているんじゃないんです。

まだ言えないけれど、でも、もうすぐでその時が来てしまう。

それまで平常心を保とうとしていたけれど……このシチューが何もかもを融かしてさらけ出させてしまった。


ごめんなさい……今は謝ることしかできないけれど、その時が来たら、ありがとうと笑顔で言いますからね。




「さて、僕たちも帰ってきた市民に挨拶をしなければ」

「そうね……カノンちゃんも来る?ひとりでお城にいたって退屈でしょう」

「いえ……まだ体力が戻っていないと思いますし、大人しくしています。あの……ラセスさんはどちらにいるんですか?」

「自分の国に帰ったよ。日を改めてまたここを訪れるそうだ。その時は、敵としてではなく、和平を結ぶために」

「リチリア国民に同意を求めて、賛成してくれれば、の話だけれど……」

「……大丈夫ですよ、きっと。ラセスさんは立派な王様です。皆さんにもわかってもらえますよ」

「……そうだね。僕たちもそれを望むよ。さあ、行こうか」

「ええ……あ、カノンちゃん!今日の夜にね、お祭りがあるの。祝杯よ!楽しんでね」

「はい。いってらっしゃい」




ヘレンさんはそう言うと、ドアを開けたセレスさんと共に部屋を出た。



「リリーちゃん……しばらくひとりにしてくれない?」

「でも……」

「大丈夫だよ。消えたりしないから」

「……わかりました。後程おやつをお持ちします」

「ありがとう」




リリーちゃんは後ろ髪を引かれるような感じで出て行った。

ふう、と一息ついて、ソファーに背を預け天井を仰ぐ。




「それで?人払いはしたけど」



わたしは独り言を言った。けれど、それは決して独り言ではない。




『あんたは明日の早朝、この世界から消えるよ』

「やっぱりね……でも、それはわたしが望んだことだし、仕方ないんだけれどね。それにしてもよくわかったねここが。ずっと地下通路にいたんじゃないの?」

『ずっとじゃないさ。人間を見るのはおもしろい。暇潰しにしょっちゅう城には来ていたよ。だからあんたのことは会う前から知っていた』

「そうだったんだ……わたしが消えるって、フリードからの伝言?」

『そうさ。あたしももうすぐ消える。あの扉は消えた。封印はもう必要なくなったのさ。それは全てあんたのおかげだ』




白いネズミが一匹、テーブルの上に飛び乗った。シチューに使われたお椀はリリーちゃんが持って行ったから、ネズミの存在を大きく感じる。

……まあ、実際に大きなネズミではあるのだけれど。




『礼を言うよ、ありがとう』

「どうしたしまして。でも消したのはわたしじゃないけどね」

『あんたのようなもんさ。あいつらは年々日を追うごとに強大になっていたから、もしかしたらあんたがいなければ手遅れになっていたかもしれないし』

「そうなの?」

『紫姫の話に、戦争で死んだ能力者は生き返らなかったとあるだろう。そいつらの魂は全て魔物に喰われたのさ。大地は繋がっているから、不可能なことじゃない。
そいつらには激しい怒りや憎しみを持っていたため、魔物たちのいいエサになったのさ。そして、その邪念を少しずつ吸収した結果、剣で刺したぐらいじゃ倒せないぐらい頑丈になっちまった』

「……」

『そこでフリードは考えた。次の世代に封印をしてもらおうと。あんたが不思議に思った通り、現22歳の優秀な若者は多い。それはそのためさ』

「聞いてたの?わたしの言葉を。でも、やっぱりね……多すぎると思ったもん」




わたしが会ってきた若い人はだいたいが22歳だった。

黄金期?と思ったけれど、全くその通りな世代だったとは。




『さて、あたしはおいとまするとしようかね。ここからも、この世界からも』




おばあさんネズミがそう言った瞬間、その小さな身体から白い光が立ち込め始めた。

もう、この世界から存在がなくなるのだ。




「寂しくないの?」

『寂しくないさ。長年ここに居過ぎたせいで退屈だったところだ』

「あなたの名前は?」

『そんなことを聞いてどうするんだい?』




驚いた、というような声が聞こえた。

ここに来てから名前なんて聞かれたことがないのかもしれない。




「……意味はないよ。もしかして、忘れちゃったの?」

『正直に言えば、あまりこの名前は好きじゃないんだよ。似合わないからね』

「教えてよ。最期の自己紹介なんだから」

『……ティーヤ。あたしの名前はティーヤだよ。意味は太陽ってことさ。あたしには闇がぴったりだって言うのにね』

「そんなことないよ。素敵な名前だよ。……ありがとう。さようなら」

『あんたもね……』





白いネズミは白い光となり、やがて完全に消えていった。


わたしだけは忘れない。あなたの存在を。あなたの名前を。



ティーヤに、あの白い花を捧げます。



安らかに─────