「起きなさい、ラセス」



懐かしい声が聞こえたと思い目を開く。

どうやら気を失って倒れていたようだ。


身体を起こし視線を上げると、黒いブーツの爪先が見えた。

そして、マントの先も見える。


……このマントは……




立ち上がり視線をさらに上げると、尊敬する嫌いな男が立っていた。幾分今までよりも若く見える。

若さを取り戻し、さらに俺に似ていると思った。しかし、そいつは瞳が黒い。




「……親父」

「久しいな、ラセス。元気だったか?」

「元気もくそもない。親父が勝手に逝くから俺は重荷を背負うはめになった」

「……そのようだな。悪かったな」

「謝って済む問題ではない。責務がすべて俺の背中に懸かっている。親父の分もな」

「……謝っても済まされないことはわかっている。俺が弱かっただけなのだから」

「そうだ、親父は弱い」




親父は、弱かったのだ。責任をすべて放棄し、去って逝った。

俺になにもかもを残して勝手にこの世から消えて逝った。


俺は、そんな親父が憎い。そして、苦手だ。

親父は優しすぎて、その優しさに触れていいものかどうかわからなかった。

甘えれば、自分が腑抜けになっていくような気がした。


だから、内心早くひとりだちしたいと思っていた。早く父親のもとを離れ悠々と過ごしていたかった。

そして、時が満ちた後に王位を受け継ぎたかった。世間を知り、現実を知った後に……



だが、それは叶わなかった。




「確かに俺は弱かった。だが、俺に勝てたことがあったか?」

「何でだ?」

「知識、剣術、話術。俺は精一杯努力してきたのだ。今まで、ずっとだ。おまえに俺のこの気持ちがわかるか?慈愛に満ちた王の姿を国民に表したはずが、拒絶されるこの気持ちが」

「……」

「黙るのか……よかろう。その身を持って俺の傷を思い知るがよい。ラセス、剣を取れ。そして戦え。どちらが正解なのか、決着をつけようではないか」

「逆ギレ……か?ふん、いいだろう。受けてたつ」




親父は剣を構えた。俺も鞘から抜いて、キラリとした鋭利な金属を見せつけた。

若くなったようだが、所詮は昔の人。

俺には能力があるのだ!



……が、力を使おうとしてもいっこうに炎が現れる気配がない。




「無駄だラセス。ここではおまえの力は発動せぬ」

「ハンデ、と言うことか?」

「バカが。以前のおまえに戻っただけだろう!」



親父が先制を仕掛けて来た。

……なるほど、スピードもパワーも若くなっている。


俺はその攻撃を剣で受け止めた。

キィィィンッ!と金属音が響く。




俺は受け止めた後、足蹴りをしたが親父に俊敏に反応され避けられた。

ちっ、と舌打ちをする。




「どうやらただの老いぼれではないようだな」

「お互い様だ。俺たちは今はそう歳は変わらぬ」

「なに……?」

「俺は心の病によって老けて見えていただけだ!俺の歳も知らぬのか!」

「知らんな!どうでも良かったからな」

「死んだときは47、今は29だ!」




意味がわからん。なぜ若返っているのだ?

……それに、そんなに若くして亡くなったのか。


それはそれは御愁傷様だな!



俺は間合いを考えながら徐々に距離を縮めていく。

……そして、仕掛けた。



親父の剣を上に弾き足を狙う。


が、親父は弾かれた剣を床に刺し、それを支えにして体勢をたて直した。




「甘いな。なぜ殺そうとせぬ」

「二度殺されたいのか?国民から殺され、息子から殺され……そこまで俺は悪趣味ではない」

「悪趣味、か。だが、いつまで経ってもそれでは決着などつかぬぞ」

「今、俺は命を奪うために戦っているのではない。どちらが強いかのために戦っている。殺しても俺の得にはならない」

「……なるほどな。だが、俺は殺すつもりでいかせてもらう。遊びは終わりだ」

「望むところだ」




親父の纏うオーラががらりと一変した。


憎悪。殺気。


それしか思い浮かばない。確かに今までのとは比べ物にならない。



……しかし、みすみす俺も殺られる立場ではないがな。




俺は剣を構え直す。

親父も構え直した。


俺たちは親子だが、相容れない存在だった。


俺はもともと引っ込み思案で臆病だった。

親父は誰とでも平等に接し、積極的だった。


消極的と積極的。


俺たちはそんな正反対な関係だ。


水と油が混ざり合うには、どうすれば良かったのだろうか……

今となってはどうしようもないことだが、和解することはできたのであろうか……?




「考え事をしている暇などないぞ!」

「……くっ」



さっきとは桁違いなスピードとパワー。

俺の方が若いはずだが、負けている。




「ラセス!どうした!動きが遅い!それでは時間の問題だぞ」

「……くそが!」

「まだ、甘いわ!」

「うぐっ……」




動きを予測しようと動きを一瞬止めた瞬間、脇腹を斬られた。

咄嗟に避けたが間に合わず、黒い軍服が血でさらに黒く染まっていく。

ちりちりと痛む傷。やがてジンジンと脈動に合わせて痛み出した。


俺は堪らず呻く。




「うぐあ……」

「痛いか?痛いだろう。痛くないわけがない。それを心に受けてみろ。死ぬほど痛み続けたのだ俺は」

「……う……ぐ……」




まともに喋ることも叶わない。

そして、とうとう足から力が抜け、膝から崩れてしまった。


腕で身体を支えるが、傷がさらに疼きだす。

その疼きが広がると共に、目の前にまで血が広がって来た。

腕も、足も、赤く染まる。



目の前が白くなってきた。貧血になり始めているのだ。


……くそっ……まともに思考がまとまらない。



しばらく悶えていると、首もとを掴まれ上を向けられた。




「どうだ?痛いだろう。苦しいだろう。おまえはそれを外側から攻撃を受けているが、俺は内側から受けたのだ。徐々に蝕んでいき、そして俺の脳をも汚染した。俺は生きる屍と化し、自害した」

「……うっ……」

「おまえも死ぬがよい。さて、どこが良いか。脳か?首か?心臓か?俺は優しいからな、心臓を一息でついて殺してやろう。さすれば一瞬であの世逝きだ」

「……ぐ……」




俺の口の端から血が滴り始めた。

血堪りに落ちては音をたてる。



親父は俺のシャツのボタンをブチブチッと引き剥がすと、素肌を晒け出した。

圧迫感がなくなり、少し楽になる。

しかし、それと共にひやりとした感触。


……左胸に、冷たい剣が当てられた。




死ぬのか、俺は。何もできないまま、何も救えないまま。

野望に囚われた国民を救うことは叶わないのか。


俺の生きた証は、何も残らないのか。


……無様だな。何もできない王など、排除させる。

親父も、俺も。




急に込み上げて来た物をいっきに吐き出しむせる。

血がドロドロと顎を伝う。咳の震動が傷に痛い。



「おまえ、これは……」



震える声が聞こえてきたと思ったら、いつもつけていたため存在を忘れていた物を掴まれた。

それは、小さな宝石のついた簡素なネックレス。


決して高くはないが、俺にとっては大事な物。


───最初で最後の二人きりの外出。

その時俺はまだ幼かった。城下町へと赴き、見て回った。

そして、宝石店でこのネックレスを見つけた。俺は駄々をこねた。

欲しい、と。

親父は快く承諾し、買ってくれた。それ以来これを俺は肌身離さず身につけている。


……お金ではどうすることもできない思い出は、こうやって形になっている。



親父は急に剣を引っ込めた。



「ラセス……おまえってやつは……とっくにこんなもの捨てられていると思っていたのだが……」

「捨て、られ……なかっ……ぐはっ!」



さらに咳き込み血を吐き出す。



「もう、喋るんじゃない。もう……いい……どうでもいいんだ、痛みなど。欲しかったのはおまえの血だけだ」

「……」

「結界には血液が必要なことは知っているだろう?封印は血を欲している。おまえの仲間も因縁の相手と対峙しているはずだ」

「……」

「すまない。俺は本物の父親ではない。幻なのだ。騙して悪かった。もう、俺はいく……俺が消えればおまえの傷も治る……」

「お…やじ…」

「強く、生きろよ……!」

「あ…たりまえ…だ……」




ギュッと抱き締められた後、ふっと軽くなった身体。支えを失い床に倒れるが、痛みも、血溜まりも跡形もなかった。

……親父もいなくなっていた。


脇腹を擦るが、服も元通りになっている。ボタンも元通りだ。



ふと、視界に入った扉。

あの先に行かなければならない。




俺はふっと笑みを溢し歩き出す。




「クソ親父。一人称がわたしから俺に変わっている時点で変だとは思っていたんだ」