もはやかわいそうなくらい真っ赤な顔の先輩の両脇に手をついて、完全に囲い込む。

彼女に思いきり顔を近付けながら、俺はにっこりと笑った。



「先輩の、『由宇』って名前も、綺麗で素敵だと思いますよ」

「そ、それはどうも……」

「だから先輩のこと、名前で呼んでいいですか?」



そう耳元でささやくと、先輩はごつん、とにぶい音をたてて後頭部を壁にぶつけた後、涙目で激しく首を横に振る。



「だっ、だめっ!」

「……なんでですか」

「ど、どうしても!」

 

……なんか春日先輩、これ以上俺に好き勝手されないように意地になってるな。

そう考えた俺は、とりあえず妥協案を訊ねてみる。



「じゃあ、どうしたら名前で呼んでもいいんすか」

「へっ」

「名前。どうしたら許可おりんの?」



俺の質問が予想外だったのか、先輩は目をまるくした。

こちらから必死に視線をそらしながら、「えと、えと、」と言葉を探している。



「……あっ! アオイくんが、弁護士になったら!」

「………」

「あっ、そ、そしたらあたしもっ、アオイくんのこと名前で呼ぶしっ」

「………」



ひらめいた、という表情でそう言った彼女の肩に、ポスンとひたいを乗せた。

……ほんと、この人無邪気だなぁ。

またもやあわあわしている彼女のことはとりあえずスルーして、俺ははぁっと息を吐いた。


……でも、嫌なため息じゃない。

どんどん増えていく“ふたりの約束”が、無性に、うれしかったから。

だからとてもあたたかい気持ちで、俺は彼女のかおりを、間近で感じていたのだ。



「ちょ、あ、ああああアオイくん……っ」

「先輩。俺以外の、イケメンエリート弁護士とか、ダンディーベテラン弁護士とかになびいたら、ただじゃおかないから」

「?!」



──どこか遠くで、蝉の声がする。

この夏の日の約束を、ずっと俺は、忘れることはないのだろう。