目にうつるのは、微笑みと、赤と。
その瞬間は、涙も出なかった。
きっと理解出来ていなかった。なにが起
こったのか。どうして───母さんが、
血塗れだったのか。
その日は随分と平凡で、いつもと変わら
ないのどかな1日だった。
父さんは仕事に行っていて、母さんがい
て、俺がいる。そんな、1日。毎日の延
長に過ぎなかったのに。
俺は、幼かった、から。
幼い事が逃げる理由になるだなんて、思
ってもいないけど。だけどそう理由付け
なくちゃ、俺は耐えられないから。
周りなんて見ていなかった。ただ、目の
前で踊る、綺麗な蝶に夢中で。
『徹っ!!』
母さんの悲痛な叫び声が聞こえてきたと
きは、もう遅くて。
つんざくようなクラクションの音と、目
の前を覆った、温かくて、柔らかい、母
さんの身体。
蝶が、ひらりと逃げていくのを、ボーッ
と視界で追うなかで。


