送り狼


静寂に包まれた深い木々の茂る犬神神社……。


今宵も夏虫の声は無く、社だけが暗闇に蒼白く

ぽっかりと浮き上がっている。


私が思うに、今ここに居るこの空間は

現実の物ではないのだろう。


おそらくこの空間は、妖や神の

そんな領域にある物なのだ。


ここが現実の空間ならば、

今の時分、夏虫はやかましく大合唱をし、

社も蒼白く暗闇に浮かび上がったりはしていない。


つまり、このような静寂に包まれた空間ではないという事だ。



それに、今宵の静寂は特に酷い…。



私を連れ、山神からここに逃れてきた銀狼は

あの時から一言も口をきこうとしない。

それどころか私と視線すら合わせない。


ただただ、社の奥にドンと腰を降ろし

宙を睨みつけている…。


山神神社と違い狭い社だ。



8畳程しかない社の奥に銀狼は腰を据えてるわけなのだが、

縁側に腰掛ける私との距離は5歩といったところで

この近い距離も手伝ってか

彼の機嫌の悪さが空気を伝ってひしひしと身に染み入ってくる。



私は私で、一人で考えたい事は山程あるのだが……




彼の醸し出すこの雰囲気に気圧され、

『家に帰りたい』とも言い出せず

ただ沈黙を守って傍らに佇むばかりだった。



時間ばかりが無意に流れていく。


これではどうしようもないので

意を決して私から口を開いた。



「銀狼…」


「……」


返事はない。


「ねぇ…銀狼…」


銀狼は宙を睨みつけたままだ。


その横柄な態度に腹が立つ。


「ねぇってばっ!!言いたい事があるならはっきり言いなさいよ!」


…どうやら、私は銀狼に負けず短気らしい…。


まだ、こちらを見ようともしない銀狼に

すっかり腹を立てた私は、

ズカズカと社に上がり込むと

宙を睨む銀狼の頬を両手で挟み

無理矢理こちらに向かせた。


「無視するのもいい加減にしなさいよっ!!

 こっち向きなさいっ!!」


ギロりと彼の視線が私に突き刺さったかと思うと…


「…パシっ!!」


「俺に触るなっ!!」


手を勢いよく払われ、一喝された。

払われた両手にじんわりと彼の心の痛みが広がる。



「……ごめん……」


私の口から自然と謝罪の言葉が出た。


銀狼はそっぽを向いたまま黙っている。