銀狼の声を耳にした夏代子の意識は徐々にはっきりとしてきていた。
その姿こそ、もうこの世に存在してはいないけれど、
山神を通してだが、五感も感じ取る事が出来る。
「山神様っ!犬神が社を半壊しましたっ!
これ以上、我らの結界では抑える事ができませぬっ!
どうかお力添えをっ!!」
先代の巫女の急死により、最近新しく当主となった娘が、下座の御簾の前から
慌ただしく山神に助けを求める声を響かせた。
「………」
その声に山神は一度押し黙り、険しい顔付きで瞳を閉じた。
そして…
閉じた瞳を開くと、何かを決意したように翠緑の瞳を妖しくギラつかせ、向き直った。
「…今行く…。
お前たちは下がっていろ。
俺が直々に手を下そう!」
山神は悠々たる威厳を放ちながら、御簾からその姿を表すと
颯爽と風を従え、犬神銀狼が攻め入っているであろう社の上空を目指した。
『どうしてっ!?銀狼っ!
ここへ来てはいけなかったのにっ!』
山神の器官を通して、愛しい人の放つ怒りの気配をひしひしと感じながら、
夏代子は祈るような思いでいた。
山神はこの辺り一帯を治める大神だ。
その力は強大であり、犬神銀狼との力の差は歴然としていた。
『戦えば…
必ず銀狼は滅びてしまう…』
成す術もないまま、社の遥か上空の彼方に愛しい人の姿を確認した…。
幾日ぶりに見る愛しい人の姿は…
神官達の攻撃にあい、傷だらけになり、おびただしい程の血を流していた。
それでも、彼は諦める事なく、
「うぉぉぉぉぉぉー!!!」
と咆哮を上げ、結界を破ろうと蒼白い光の玉を無数に放ち続ける。
『…銀狼…』
その時の夏代子の気持ちは…
言葉になど表せない…
言いようのない、沢山の色んな思いが、夏代子の胸から溢れ出す。
「…夏代子…」
そんな夏代子の気持ちは、山神にも伝わり、彼に落胆の溜息を吐かせた。
『…夏代子…
やはり…お前は…』
そう、考えかけ…
山神はそれを振り払うように大きく首を振る。
今は、それ以上の事など考える時ではない!
山神は瞳をギラつかせ、銀狼の前に素早く立ちはだかった。


