梨沙は本を閉じた。

物語はまだ終わりを告げていなかったが、結末は知っている。

『あの人』はお化けでもなんでもないし、それどころか『千佳子』が読んだ本の作者だったのだ。

ただそれだけのつまらないラストシーンなんて読みたくなかった。

物語の作者が書きたかったのは本格ホラー。

大失敗だった。

なのに曖昧なラストが逆に評価されて、こうやって本になってしまった。

新米ホラー作家のデビュー作。

今後が期待されますね。

「つまんないよねぇ…」

梨沙は本の表紙に向かって呟いた。

「俺は好きだけどね」

正面から声がして、梨沙は顔を上げる。

夕陽が沈みかけていた。

「もうこんな時間か…」

どうりで彼がここにいるわけだ。

彼は梨沙の独り言を無視して話を続ける。

「だってこれに出てくる『あの人』、モデルは俺なんでしょ?」

その通り。

整った顔立ち、黒髪、優しい性格。

それから、夕陽の紅がよく似合う事。

彼がいなければ『あの人』もいなかった。

「そんなに俺は魅力的だった?」

彼は冗談を言いながら綺麗に笑う。

「そうね、とても魅力的だった……私をお化けにしちゃうくらい」

そう言ってまた二人で顔を見合わせ、笑う。

幸せな一時だった。

ふと窓の外を見る。

紅色が藍に混ざって、空が幻想的な紫色になる。

溶けた雲がゆっくりと流れた。

「そろそろ行こうか」

彼の言葉に、梨沙は窓から目をそらさずに頷いた。

陽が落ちて世界が暗くなり、すぅーっと彼の身体が夜に溶ける。

そして梨沙も。

闇に包まれた読書コーナーの机の上には、一冊の本が取り残されていた。


[夕陽のあの人 著 平賀梨沙]