りんどう珈琲


 マスターが聞かせてくれたニルヴァーナというバンドのボーカルは、とっても神経質そうな声でうるさい歌を歌っていた。英語がよくわからないから、なんて言っているかわからないけど、とってもうるさかった。でもその音楽の中に、彼の声の向こうがわに、わたしの心にも少しだけ忍び込んでくる悲しみの叫びのようなものを、わたしは感じられた気がした。でも彼はもうこの世界にはいない。27歳で頭を銃で撃ち抜いて死んでしまった。でも彼は今、このりんどう珈琲でマスターとわたしにその神経症的な歌を歌って聴かせている。ある意味では生きている。生きるっていったいなんだろう? その引き金を引くとき、彼はなにを思っていたのだろう?

「ねえ。マスター、この歌うるさいね」

「ああ。うるさい。確かに」

「あのね、マスター。わたしはからっぽなんだ。なにも手に入れてないし、なにも失っていないの。わたしも、生きる意味がわからないんだ」

「いいか、柊」

 マスターはビールのグラスを置いて、カウンター越しにわたしの顔を見る。マスターがわたしのことを柊と呼ぶのははじめてのことだった。


「さっき俺が言ったことを忘れるな。生きる意味なんてそんな簡単にはわからない。でもそれと今のお前がからっぽかどうかということは全く別の問題だ。お前はまだ17歳だ。なにも手に入れてないことなんて普通のことだ。これからお前はいろいろな事に出会う。心が震えるほど感動することもあれば、心が打ち砕かれるほど悲しいことだってある。いずれにせよお前はこれからたくさんのものを手に入れていくんだ。17歳というのはそういう年齢だ。だから二度と自分がからっぽだなんて言うな。たとえもしそれが空白に見えるとしても、それはお前が何かを手に入れるための空白だ。自分が何も失っていないなんて思うのは20年早い」


 そういうとマスターは立ち上がって冷蔵庫から新しいビールを取り出す。その言葉はわたしの心の真ん中あたりにすうっと落ちていく。寒い夜に突然毛布にくるまれたような安心感がわたしの心を暖める。

「…うん。わかった。もう言わない」

「ああ。もう言うな」

「でも20年早いって、20年っていうのがリアルだね。普通100年とか言わない?」

「そんなことで嘘ついても仕方ないだろう」