りんどう珈琲


「死んだ?」

 マスターが聞き返す。
 わたしはただただ呆然とハサンの話を聞いていた。ハサンの目にふたたび涙が溢れ、ほおを伝うのがみえた。


「それが名誉の殺人です。ヤスミーンは実の父親に、首を絞められて殺されたのです。僕の国では、未婚の女性の婚前交渉は一切禁止されています。未婚の男女が2人で会うことも悪しきこととして認識されます。女性にとっては処女性がなによりも大切にされているのです。もしそれが発覚すると、その父親や男兄弟が、娘を自らの手で殺すのです。そうすることで家族の名誉が守られると本気で考えられているのです。日本では考えられませんが。もちろん近代化の進む現代です。イスラムのすべてがそうではありませんが、いまだに山岳部や一部の地域では、警察や司法よりもそういう土着的な風習のほうが色濃く残っているのが現実なんです」

「そんな…」

 わたしの口から言葉が漏れた。それは本当に漏れたという言葉がいちばん近かった。そしてそのときわたしが感じていたのは、殺されたヤスミーンが自分と同じ17歳だという、少しピントが外れたようなことだった。


「ねえマスター。僕は自分のことしか考えていなかったんです。本当の意味でヤスミーンを愛してはいなかった。大切なことはどうして後になってからしかわからないんでしょうか? 僕はあのときヤスミーンに近づくべきじゃなかった。本当にヤスミーンのことを愛していたのなら、僕はあんなふうにヤスミーンを求めてはいけなかったんです。僕には彼女を愛する資格がありませんでした。貧乏ながら女手一つで僕を育ててくれた母親を置いて、ヤスミーンだけを連れて逃げることなんて僕にはできなかったし、仮に逃げたとしても僕にはヤスミーンを養うことなど到底できませんでした。でも僕は苦しかったんです。ヤスミーンが他の男のものになってしまうのが。勝手ですね。あんなに優しかったヤスミーンはあっけなく殺されました。ヤスミーンと最後に別れたとき、僕たちは翌日同じ場所で会う約束をしていたのに。僕はヤスミーンにさよならも言えなかったんです。ありがとうも。ごめんなさいも。彼女が殺されたのは、すべて僕の責任なのです。あの日に戻れるなら、僕は今ここで死んでもいいと思います」