「遊びに行く気分じゃないだろうと思って、遊びに来たの」
そこには、そういいながらビールの入ったビニール袋をかざす、玲美ちゃんの姿があった。驚いている直人を玲美ちゃんは指を指して笑った。
「武田くん、その顔、顔!」
「えっ?」
直人はなんだかわからなくて、顔を触ってみて、ようやく気がついた。涙とオイルを顔中に引き伸ばしていることを。直人はなんとなく照れ笑いをしながら、彼女を部屋に招き入れると、台所で顔を洗った。
”いったいどうなっているんだ?”
思いながらタオルで顔を拭く直人に向かって、彼女は缶ビールを差し出した。
「乾杯しよ、乾杯!」
「えっ?」
直人は一瞬戸惑った。そんな直人に、ワントーン低くなった彼女の声が続いた。
「私、雅之くんから聞いちゃったの。武田くんのレースの成績のこと。でもいいじゃないこの次があるわよ。だってレースはまだあるんだし、武田くんのレースに対する気持ちがこのままなら、絶対に次はいいレースができるって。ねっ、きっと今回が厄払いになって、次は勝てるよ」
彼女は一生懸命になって、直人をかばってくれていた。
「武田くん、あの後すぐに帰っちゃったでしょ。レースが終わったあと、私、中野って人に口説かれちゃったんだから…」
心臓が止まりそうだった。彼女の作った一瞬の間が、直人の時を止めた。
「断って帰ってきたんだからね。ちゃんと責任とってよね」
凍りついた時が再び動きだし、気がつくと直人は彼女を抱きしめていた。ビールのこぼれる音も、ボルトが飛び散る音も聞こえなかった。ただ、彼女の温もりを感じていた。
「れ…玲美…」
抵抗を感じながらも”ちゃん”をつけないで彼女の名前を呼んだとき、直人は心の中で出会ったときに動き始めていたもの、それがなんであったかということに、ようやく気づくことができた。