世の中は、醜いもので溢れている。

あるミュージシャンは癌にかかったが、あっさりと生き延びるのをやめた。

この世には、美しくないものが多い。だから、こんな世界に生きていても仕方がない。

彼は治療を受けずに、そのまま自然に死んだ。

あるミュージシャンはこう言った。

この世界は美しくないもので溢れている。だからせめて、美しい音だけを奏でて、人々に聴かせたい。

しかし、この世には、美しくないもので溢れている。

それは何故か。

それが、自由だからだ。

汚い音に、罵詈雑言。

ネットでは匿名の中傷が永遠と書かれ、町では行き場のない人々が、ただ一瞬、一夜の笑いと快楽に費やしていく。


(この世は、汚れている)

だけど、目映い朝日や夕陽のように、すべてを照らす光があれば、すべてを誤魔化せるのかもしれない。


人々で溢れる地下鉄のプラットホーム。

その向こうから、暗い闇を照らしながら、近付いてくる光を見つめながら、前に立つ学生の背中を押そうとした腕を、横から誰かが掴んだ。

「やめてくれないか?もしかしたら、あの電車の中に美しき人が乗っているかもしれない。彼らが遅刻したら、可哀想だ」

「え」

掴まれた腕の持ち主が驚きながら、横を向くと、笑顔で微笑みかける幾多流がいた。

「殺そうとすることは止めないよ。だけど、他人に迷惑をかけなければね」

幾多はウィンクをすると、そのまま腕を掴みながら歩き出した。

「防犯カメラの位置は把握しているけど、長居は無用だ」

幾多は、白線から一番遠くに離れながら、急ぐでもなく少しの早足で歩いていく。

「す、すいません」

困ったような声を出したのは、腕を掴まれている少年だった。

彼は、背中を押そうとした学生と同じ学校の制服を着ていた。