《何ぼさっとしているんだい!? 早く受け取っておくれよ》
 ミリエルに急かされて、ヒトカは首飾りを受け取った。
《身につけな。そうでないと意味が無い》
 その言葉に、ヒトカはその首飾りを畏敬の念で見つめ、首筋に止めた。
 真珠は小さかった。小指の爪程だ。だが、力を感じる。この力をどうやって使えば良いのかという事は全く解らなかったが。
《何もお前さんがその首飾りを振り上げて呪文を唱える必要はないんだ。ただ身に着けていれば良い。この山が神住まりの山と決まって二千年。その間、巫女達がずっと身に着けていたものだ。きっとあんたを守ってくれる》
《有難うございます。お借りします》
 ヒトカは真珠を握り締めた。仄かに温もりを感じる。ミリエルの体温が移った訳ではなかった。真珠が、内側から熱を持っている。
《真珠は涙をさす》
 ミリエルが立ったままのヒトカを見上げ、そう言った。
《涙?》
 そう問いかけて、ヒトカは腰を下ろした。目線をミリエルと合わせる。
《あんたにも礼儀が解ったようだね。老人に首の筋が違えてしまいそうになる位見上げさせるなんてね、本当に、最近の若い者は……まぁいい。涙だよ。女王様は涙をこよなく愛する。悲しみ、憎しみ、絶望の涙、それは本来なら精霊達には縁の無い涙だからね。だがもっと縁が無い涙がある。愛だよ、ヒトカ。愛。それが私から贈れる最後の言葉だよ》
《有難う、ミリエル》
 ヒトカはミリエルに手を伸ばした。抱き締める。きつく。その身体は驚く程華奢であった。折れてしまいそうな程。
《有難う、ヒトカ……》
《必ず戻ってくる》
 そう、そして愛ならばこの胸にある。
 ヒトカは立ち上がると赤い上着とセーターを脱いだ。シャツと長ズボン、長靴(ちょうか)といった出で立ちになる。
 聖地には、温度が無かった。否、無いというのとは違う。熱いとも寒いとも思ぬのだ。
 だから上着を脱ぐ必要はなかったのだが、ケセは茨でセーターと上着がどうにかなってしまう事を恐れた。
 折角ミリエルが作ってくれたんだし。
 セーターの網目は粗かったし、上着の縫い目も時々、おかしな方向に走っていた。
 だがヒトカには大事な衣装だった。
 そしてヒトカは絶壁の岩場を見つめる。
 此処から降りて、指輪を探し、戻らなくてはならない。
 ケセは比較的太い蔦を手に取った。
 握り締めぬよう手の上に乗せただけであるのに、蔦自身の重みでヒトカの左手に棘が刺さる。
《痛っ!》
 ヒトカは声を上げた。その途端、ミリエルは目を閉じた。余りに痛々しいではないか?
《大丈夫かい? ヒトカ》
《大丈夫だよ、ミリエル》
 ヒトカは簡単に答えた。そしてその蔦を今度は両手でしっかりと握る。
《!》
 痛みは先程の比ではなかった。棘が両掌に食い込む。痛いのだけれども、それでもヒトカは悲鳴を堪えた。
 しかし。
 この蔦……普通じゃない。
 ただ刺さるのではなく、血肉を求めて棘が皮膚の下でうごめくのだ。
 ヒトカの額に脂汗がしみる。
 まだ降りてもいないのに!
 ヒトカは唇を噛み締めながらその蔦を引っ張った。全身全霊の力で引っ張った。痛みの所為で本来の力の半分ほどしか発揮できなかったけれども。
 千切れない。
 それを確かめてヒトカはその蔦を手に、絶壁を下り始めた。
 しかし、すぐにヒトカは恐怖を覚えた。ミリエルが崖っぷちから身を乗り出すようにして見ている以上、悲鳴は上げられない。だけれども。
 やっぱり、この谷、変だ。
 ヒトカは思う。何故なら茨が『伸びて』来たからだ。ヒトカを目がけて。その速さは凄まじく、ヒトカに逃れる術は無かった。
 ミリエルの悲鳴が聞こえる。
 あっという間に、ヒトカは茨でぐるぐる巻きにされてしまった。首から上を残して。
 首と顔が無事なので呼吸は出来る。
 それだけではない。ここまでがんじがらめにされては落ちて死ぬ事だけはなさそうだ。
 そして不思議な事に痛みはもう、なかった。
 蔦がうごめき、体内の棘が凶暴に踊り狂う中、ヒトカが感じているのは快感だった。