「いやっほー、今日はカレーだー!!」

 喜びの声を上げながら元気よく帰宅してくれるのは嬉しいけど、脱ぎ捨てた靴が玄関より上に飛び上がってきてるんですけど。

「ほら、せめて靴は玄関に」

 私は顔を顰めて言った。

「へいへい」

 面倒臭そうながらも、きちんと靴を揃えている。

「中から鍵開けてくれるっていいよな。鍵出す手間省けるし」

 夏輝は嬉しそうに笑うと、まっすぐダイニングチェアに腰かけた。

「今日さぁ、ちょっと出て来たんだけど……」

「うわっ、うまそー!! いっただっきまーす!!」

 夏輝は本当に嬉しそうに、カレーにありついてくれる。

「……今日はしっかりおかわりあるからね」

 聞いてか聞かずか夏輝は、スプーンを持つ手を止めることはない。

 数分せずに皿はからになり、もう一度大盛りにして前に出す。

「んで? 外って?」

 ちゃんと聞いてたんだと笑って続きを話そうとすると、インターフォンが鳴った。

 慌てて立ち上がり、覗き穴を見る。

「先生!」

 声を上げたこちらを夏輝は見たが、カレーから口を離すことはない。私はそのまま扉を開けて先生を招き入れた。

「いやーこれ、忘れ物を届けに……」

「あ!!」

 夏輝の弁当箱を届けてくれたようである。

「忘れてた。先生、サンキュ」

「いやあの、今日はカステラどうもすみません」

 玄関先で先生は丁寧に頭を下げた。

「あっ、いえっ、こちらこそ! 昨日買い物付き合って頂いたので、そのお礼です。

 あっ、良かったら先生上がって下さい! って私の家じゃないけど、カレーありますから!」

「いやいや、私はこれで……」

 先生は言いながら、素早くドアノブを握った。

「先生は他の女の人が作ってくれた料理があるから、別にいーんだよ」

「あそうなんですね」

 私はすぐに納得したが、

「いやそういうわけじゃないんだけどね。なんか勘違いしてるみたいですけど。今日はもうおいとましますから」

「あ、そうですね……」

 いや、多分夏輝が言ったことは本当だろうけど、まあこれが普通の大人の反応だよね。

「えー? 帰ってご飯ないんならここで食べればいいじゃん。俺んちで遠慮しなくたっていいのに」

 今日ご飯多めに炊いてて良かったー。先生が食べるとなっても、一応カレーライスはできる。

「あっ、先生、どうぞどうぞ! 私、丁度聞きたいことがあるんです!」

「あ、そうなんですか?」

 夏輝に聞こうと思ってたけど丁度いいかもしれない。

「はい、是非どうぞ。 遠慮しなくても大丈夫です」

「あ、じゃあ遠慮なく……」

「あ、あんみつが何とかって話?」

 夏輝はお茶を飲みながら聞いた。

「えっ!? いやあの、それじゃなくて……」

「あっ、あんみつ……」

 先生はバツが悪そうに目を逸らした。

「えっ、いや、夏輝君! そうじゃなくて!」

 というか、罪をかぶせようとしている私!

「え゛、何で俺? 先生があんみつ好きかどうかとか言ってなかったっけ? 何で自分だけ食べなかったんだろうとか」

 最悪だ。私は先生に平謝りのつもりで頭を深く下げた。

「すみません、失礼なことを言って。申し訳ありません!」

「いやいや、初対面の方なら誰だって不思議に思います」

 なんか笑顔なのに文章が変で、ちょっと怖い。

「えー……あ、どうぞ、ここ、どうぞ!」

 私は、夏輝の隣の椅子を引いた。

「これはどうも……。けど、カレーは構いませんから。また夏輝に食べさせてやって下さい」

「いいじゃん先生。帰って1人で食べるんならここで食べたら」

「あのね、大人はそういうわけにいかないの」

 先生は夏輝に説明する。

「えー、どーせ1人で食ってんだろー。空は先生がモテるとか言ってたけど、そんなわけねーもんなあ」

 あやうくお茶を落としそうになり、私は吹き出すのを必死で堪える。

「あの、お茶でもどうぞ……」

「あ、すみません。ありがとうございます。でー……聞きたかったこと、というのは?」

 先生はこちらに向かって聞いた。私も、言いながら夏輝と対面して腰かける。

「あの、就職先のことです」

「あぁ。どこかいい所がありましたか?」

 先生は積極的に身を乗り出してくれたので、思いのままに相談してみる。

「ケーキ屋さんとか、一度働いてみたかったようなところもあったんですけど……」

「いーんじゃねーのー?」

 夏輝は興味がないのかテーブルに肘をつき、あくびをしながら言った。

 だが、先生は対照的に「カステラもとても美味しかったです」と背中を押してくれる。

「別にここでじっとしてりゃいいじゃん。俺、飯作ってほしーし」

 再びあくびをしながら言い、そのままベッドに入ってしまう。

「だけどだって。せめて毎日帰って来るならいいんですけど、あんまり帰って来ないし。

 それにお金だっていつかはなくなってしまうから、少しでも稼いでおきたいと思うんです。布団かベットも欲しいし、そうなれば部屋も狭いし」

「そうですねえ……」

 先生は言いながら夏輝の方を見た。というか、ベッドを見た。

「お急ぎなら、布団は用意しますが」

「えっ、いえっ! そんな急いではないんですけど。ベッドでも寝られないことはないんです。ただ、一緒に寝ると夏輝君が狭いと思って……」

「桜ちゃんが端っこで寝てくれるから、俺は別に狭くねーよ」

「そういう問題じゃないでしょ」

 不潔だと思われた!!と一気に不安になる。夏輝の教育係的立場を設けてもらっておきながら、ふしだらに寝込みを襲おうとしていたと勘違いされても、さすがに仕方がない。

「その、働く件ですが病院の方はもうかまいませんか?」

「いえ……それも迷い中です。病院で働くっていう、患者さんを助けるっていう雰囲気が嫌いじゃなかったから。どんな形ででも病院で働きたいという気持ちがないわけでもないんです」

 でも掃除婦は……と思うとなかなか踏ん切りがつかない。

 だけど、一度事務を自ら辞めたわけで、我がままを言える身分ではない。

「どちらにしても何かしていかないと。

 私、自分がどこへ行けばいいのか分かりませんけど、今夏輝君のお世話になって、ちゃんと生活できてることに本当に感謝しています。

 あの時夏輝君に出会わなかったら、彷徨っていたに違いありません。だから……」

「俺は別に、ここにいてくれればそれでいっから。帰って電気ついてると、安心するし」

 私はベッドの上で寛ぐ夏輝を見た。

「一緒に寝るのも気持ちいいし、桜ちゃんいい匂いがするし」

 夏輝は何の恥ずかしげもなく言ってのけたが、さすがにそれは赤面した。

「お互いがいいんならそれでいいですけど、困ってるのなら布団は貸します」

 先生は夏輝を真顔で見ながら言った。

「別にいいーってば。先生」

「……あそう」

 先生はすぐに引く。 

 私は、先生の方を見る勇気はなかった。

「では気持ちが決まって、力になれるようでしたら連絡下さい」

 言いながら、先生は立ち上がった。

「あ、すみません、どうもありがとうございます!……あの、カレー本当によろしかったんですか?」

「いや、結構です! お構いなく」

 先生は紳士らしく断る。

「いいんだってー。モテるから」

 夏輝は漫画を開きながらさらりと言ってしまう。

「あっ、そうですね! すみません!」

 私は咄嗟に謝った。

「あっ、いえ、そういうわけではないんですが。……とにかく今日はもうおいとまします」