ベランダに洗濯機はあるが洗剤がないことが分かり、隅々確認してなんとか普通の生活ができる気がしてきた2日目の朝、夏輝は想像よりもだいぶ早く帰って来た。

「ただいまー」

 まだ日もあまり昇っていない部屋にその声は静かに響く。

「ん……」

 私は勝手に拝借していたベッドから起き上がりながら、合鍵で帰って来たオレンジ色のティシャツを着た夏輝をただじっと見つめた。

「早いね……」

「うわっ、すげえ! ここ、俺んち!? すっげぇ綺麗!!」

 夏輝は朝早いにも関わらず、バタバタ家の中を開け散らかしている。

「あ、ごめん。今から寝る? 」

 私は、ベットを占領していたことを思い出して聞いた。

「あ、まあ、寝るけど……」

 夏輝がこちらを見たまま黙った。

「え……あ、ごめん! 勝手に服使っちゃって! ごめんね! あの、シャワーとカラン間違えてパジャマ濡れちゃって……」

「やまあ、それはいーんだけど」

「え、何?」

「2人で寝るにはちょっとキツイかなあって」

「ベッド!?」

 まさか2人で寝るつもりだったのか、と私は声を上げた。

 普段あまり夏輝はいないらしいけど、布団だけもう一セット買えば私は床で寝るし、とか……。

「……どうだろうね」

 だが、布団を買うのはもしかしたらもったいないかもしれない。あんまり使わないのなら。

「いやー、ベッドはもう一つ置けねーしなあ」

 ですよね。そんな場所の余裕はないし。それに、夏輝は布団の習慣がないのかもしれない。

「あの、まあ、今日はとりあえず私もう起きるし。えっと、お風呂入る? ご飯作ろうか?」

「作ってくれんのか!?」

 夏輝の声がパッと明るくなった。

「それくらいは……」

 妙な誤解を招きたくない、と大人の事情を説明しようとしたが、そんなこと夏輝には不要だったかもしれない。

「じゃあ先風呂入ってこよっと」

 夏輝はあっという間に風呂場に行ってしまう。

 なんて純な男の子なんだ……そう思いながら、私は夏輝の鼻歌に顔を緩ませた。
 
 さて、ご飯を作ると約束したからには、風呂から出て来るまでに少しでも仕上げておきたい。私は、すぐにベッドから立ち上がると、慌てて冷蔵庫の扉を開けた。

 予想した通り、夏輝は数分で風呂から出て来る。

「はー、丸1日入ってねーと久しぶりに感じるー!」

 そっか、泊まりだとお風呂は使えないか。

 どうにか、ベーコンスクランブルエッグと千切ったレタスができたので、ご飯と一緒にダイニングテーブルの上に出す。

「ごめんね、時間なくて味噌汁できなかったけど」

「うひゃー! うまっそー!! こんなうまそうなの久しぶりー、いっただっきまーす!!」

 かろうじてあるダイニングの椅子に座るなりがっつくように食べてくれるのはいいが、ご飯、足りないかもしれない。

「なんか、ラーメンのカップがいっぱいあったけど……あ! ごめんね、昨日ラーメン2個食べちゃった」

 対面席に座りながらとりあえず謝る。

「んー、んー」

 口の中がいっぱいで何を言っているのかは分からなかったが、その笑顔から、何を言おうとしているのかは分かった。

「いつも何食べてるの? ラーメンのカップと牛乳しかなかったけど」

「んー……」

 口はそのままに、考えている様子。

「あ、はい、お茶」

 思い出して、私はコップにお茶を注いだ。

「んー……せんせが、カップラーメンと卵かけご飯ばっかじゃそのうち死ぬってゆーから、時々外食してる」

「自炊しないの?」

「だって作るの面倒臭ぇし……」

 言いながら、茶碗の中の最後の一口を頬張る。私はそれに気づいて、すぐにお茶碗を横取りし、おかわりをついだ。

「作るの面倒でも、魚とか、焼いたの買えばいいじゃん。干物でもいいし」

 そして、お茶碗を差し出す。

「…………」

 夏輝はその一部始終を、じっと見ていた。

「何? あ、もういらない?」

 てっきり欲しそうだったけどもうおかずがないので、勝手にふりかけをかけたが、気に入らなかったのかもしれない。

「あ、ふりかけ嫌い?」

「何で……俺何も言ってないのに……」

 夏輝はとても驚きながら、茶碗を手に取った。

「…………」

 いやまあ、そう言われればそうなんだけど。

「……女の勘?」

 それ以外に思いつかなかったので言ってみた。

「すげー! 女の勘!」

 言いながら夏輝は茶碗を持ち直し、再び食べ始める。

「ごめん、もうおかわりないから」

 聞いてか聞かずか、見る間に、ふりかけごはんはなくなる。

「めちゃうまっ!!」

 たったのふりかけごはんでそこまで喜んでくれるのなら、料理も気を遣わなくていいかな、と先が楽しくなる。

「ねえ、今度いつ帰って来るの?」

「突然スケジュール変更するから、今はまだなんもわかんねー」

「あ、そうなんだ。特に決まってないんだね」

 夏輝はテーブルに肘をつき、掌に顎を乗せて、天井を見ながら答えた。

「決まってるやつもあるけど、ねーのが多いかな……うん」

「ふーん、でさでさ! 昨日先生と買い物に行ったんだけど!」

「あれ、買って来てくれなかったんだ。先生面倒臭がりだからな」

「それはいいんだけど。先生ってなんていうか、つかみどころないよね」

「変な先生だかんなー」

 やっぱり!?!?

「けど医者としては立派だし、俺たちに色んなこと教えてくれるすげぇ先生なんだ」

「そうなんだ……」

 普段はクールが主で、患者さんの前になると熱い所が主になるのかな、と勝手に解釈する。

「そんでね、そんで先生、あんみつが……」

 夏輝は大きなあくびをする。

「あ……もう寝る?」

「うん……」

 まあ、いつもいる先生のことをとやかく聞かれてもあまり面白くはないのかもしれない。

「おやすみー……」

 あれ、夏輝がベッドで寝て……私、今からどうしよ。

 掃除はうるさいからできないし、洗濯でもしようかな……。

「桜(さくら)ちゃん、こねーの?」

「…………」

 来るってどこへ?

「俺端の方寄るからよ」

 と、ベッドと壁のギリギリのところで横になっている。

「え、でも私、もう起きるし」

「まだ朝はえぇよ、なんかすることあんの?」

「や……ないけど」

 そう誘われると少し、隣で寝てみたいと思ってしまう。

「じゃあいいじゃん。ここで寝れば。俺一回2人で寝てみたかったんだよなー」

 あぁ、なるほど……。ありがちな好奇心ですな。

 私は言われるがままにベッドに潜り込み、天井を向いて、上から一枚の布団をかけた。

 すぐ側に窓はあるし、その窓のカーテンは真ん中が少し開いているし、怪しいことは何も起こりそうにない。

「狭い?」

 すぐ側にあるその顔を見ながら聞いた。

 夏輝の目はうっすら開いているが、もう半分寝かけている。

「私は狭くないけど夏輝君、狭いんじゃない?」

「俺はへーき……」

 言いながら、思いっきり掛け布団の上からだが、私の身体の上に腕を乗せてくる。

 やっぱ狭いか……布団買いに行こうかな。思いながら、私は布団から出る。

 1つ年下のまだ19歳の夏輝。信じられないくらい純で全く擦れていなくて。私にとってはこの先、眩しい存在になりそうだ。