「岬さん」

「…………」

 風呂上りにティシャツを着てみたので、もう一度礼を言おうと、隣の部屋のドアの前に立つ。

裾が長いティシャツはお尻が隠れていたが、背丈を考えると仕方ない。

「あのー、岬さん、ティシャツ、ありがとうございました」

 ノックしてみたが中から返事がないので、疲れて寝ているのかもしれない。大声を出して起こしても迷惑になるので、一言気持ちだけ伝えて自室に入ろうとした。

 と、岬の部屋のドアが開いた。

「岬の部屋は反対側だ……」

 予想に反して、中から出てきたのは新堂であった。間違えて、反対隣に声をかけてしまったらしい。

「あ、すみません! 岬さんにティシャツを借りたので、お礼を、と……」

 その新堂の身体、顔自体は固まっているのだが、眼球だけが舐めまわすようにこちらを見ている。

 あまりにも真剣な表情で怖いとさえ感じた。

「あのっ……すみませんッ……、夜遅くに……」

「……いや……」

 と、言いながらも、視線がティシャツから動かないのは分かる。おそらく下着が多少透けているかもしれないと凝視しているのだろうし、岬のティシャツを着ていること自体も妖しいし。それらをどのように受け取ったのかは分からないが、すくなくとも、固まるほど驚いたことは間違いなさそうだった。

「あれっ、風呂から出たんですか?」

 岬が部屋から出て来る。彼はこちらをちらと見てティシャツを確認すると、それだけ聞いた。

「あっ、はい! すみません、私、部屋を間違えて新堂さんに話しかけてしまって……」

「おい総悟、何でテメーの服貸してんだよッ! 服なら大家のオバハンに貸してもらえりゃいーじゃねーかッ!!」

「寝間着くらいなんでもいーでしょ。借りに行くのも面倒くせーし。ティシャツなんて男も女もどっちでも着られますよ。それとも何ですか? まさか自分のティシャツ貸したかったなんて思ってるんですか?」

「違げーよッ!! んなワケあるかッ!!  

……ま、まあ、言われてみりゃそうだよな、借りに行くの面倒くせーよな」

「あのオバンのことだから余計な事言われてもうぜーし」

「それならいっそ、お前が着るから貸してとか言った方が……」

 そのままだらだら2人の会話が続きそうだったので、私は先に自室に入った。

 ベッドの上に既に準備されていた布団は、ずっと干されていないようで黴臭い。

 目を閉じ、疲れた身体を休めることにする。昼間のことを思い出すと怖いが、周りの人がみんな優しく、ここでならしばらく居てもいいかもしれない、と思えた。



 真っ赤に染まる、血。

 左腕の肘から下がない。

 それを探す、男。

 地面には血が滴り落ち、それを振ると血が飛び散る。

 スーツからは血の匂いがする。

 埃や汗に混じった血の匂いがし、水につけた途端、赤黒く染まりはじめる。



「大丈夫か?」

 揺さぶられていることには気が付いていた。

 だけど、なかなか意識が現実に戻らなかった。

「おーい、起きてっか? それとも目開けて寝てんのか?」

 タバコの匂いがする。

 私はようやくベッドの横に立ち尽くして、タバコを吸っているティシャツ姿の新堂に気付いた。

「…………、起きてます……」

「随分うなされてたぞ。ドアが少し開いてたせいで廊下の外まで聞こえてた。

…………アンタ、銃見たの初めてだろ?」

 新堂はふーっと煙を吐いて返事を待つ。

「普通、ないですよ」

疲れていたせいか、言い捨ててしまった。

「……普通ね……。そりゃそうだ。普通拳銃なんて見ることはない。しかも、撃たれるところなんてぇ、なおさらだ」

 私は言い方を間違えたことに少し反省しながら、

「いつも……あんな感じなんですか? 刑事さんって」

「…………。色々あるが、一括して言やぁ、そうかな」

「ビックリしました……。夢に出るくらい……。なんて、言ったらいいか分からないけど……」

「ここにいる奴はみんな、へらへら笑ったしたバカばっかりだが、いざとなりゃ殉職覚悟で生きてる。それくらいじゃなきゃ、ホシなんて追えねぇ」

 私は、新堂が言いたいことがよく分からなくなって、身体を起こして、正面を向いた。

「私、大丈夫ですか? ここに居て」

 回りくどい言い方で住みつくことを断られているのかもしれないと心配になって、確認する。

しかしその不安に反して、新堂はタバコを加えたままふっと笑うと、

「いや、そうじゃねえ。

 ただ…………」

「……ただ? ……」

「……いや、なんでもね……」

 新堂は言うのをためらい、結局口には出さず、そっぽを向いた。

「さあさ、明日も早い。もう寝るぞ」

「すみません、ありがとうございます。あ、そういえば、明日岬さんはお休みだそうで、一緒に服を買いに……」

「は!? 岬が休み? 何でそんなことになってんだよ?」

「えっ、いや……岬さんはそう言ってましたけど……休みだから、服を買いにつれて行ってくれるって……」

「アンのヤロー、手ェ出すの、はえぇんだよ……」

 新堂は後ろを向いて1人ぶつぶつ言いながら、こちらに気遣うこともなくドアをパタンと閉める。

 私は新堂が何を言いかけたのか気になり、しばらく目が閉じられなかった。しかし理由はそれだけではなく、部屋に残ったタバコの煙のせいかもしれなかった。